は暗くなった帰路をとぼとぼ歩きながら、先ほどの新開とのやり取りを思い出していた。
「一度、康友と腹を割って話してみたらいいと思うよ」
そうは言っても、何をどう腹を割って話したらいいのだろう。「私、東堂くんが好きみたい」とでも言えばいいのだろうか。だめだ。それじゃまるで東堂だけを好きみたいになってしまう。にとっては荒北も東堂と同じくらい好きで大事な人なんだ。
―― でも、同じ好きじゃないんだよな。
どうして東堂だったのだろう? どうして荒北じゃだめだったのだろう? 一緒に過ごしてきた時間は荒北の方が長かったはずなのに。東堂のことを考えれば考えるほど、罪の意識に苛まれてを苦しめた。
部室で荒北に顔を近づけた時、ただ顔が近いなーと思っただけで他には何も感じなかった。あと数センチ顔を前に出してその唇に触れたいとは思えなかった。
でも東堂に顔を近づけた時は違った。自分でとった行動なのに鼓動が早くなって赤面しそうになってしまった。その違いを否定できるほど、の心は強くない。
それでも認めたくなかった。だって、認めてしまったら……。
ずっと腐れ縁だと思っていた荒北。いつの間にこんなに大事になっていたんだろう。こんなに大事だと思っているのに、異性として好きになれないのはどうしてなのだろう。東堂を好きだと認めてしまったら、の荒北への想いはどこへ行ってしまうのだろう。
―― いっそのこと、靖友のことを好きになりたかった。
「オイ、」
突然、目の前の曲がり角から荒北が現れた。予期せぬ者の登場にはたじろぐ。もうとっくに寮に帰っていると思っていたのに、そこの角を曲がればもう女子寮だというタイミングで荒北は現れた。
「ちょっとツラ貸せ」
※
どこかに移動するというわけでもなく、二人は肩を並べてその曲がり角の塀に寄りかかりながら話した。
「東堂と何かあったんだろ」
「……」
荒北は俯いたまま何も話さないを一瞥した。
「沈黙か。ないと言い切らないあたり、何かはあったけど認めたくないというところか」
悔しいけど当たっていた。
「お前さ、オレに遠慮してんだろ」
「っ、そんなこと……!」
は俯いていた顔を上げて、「ない」と否定しようとした。でも目に飛び込んできた荒北の真剣な眼差しを見てしまったら、「ない」と続けることができなかった。
「ないと言い張るならそれでも構わない。勝手にしろ。ただしオレの話は聞け。本当は一生話すつもりなかったんだが、今のお前は見てらんないから話してやる」
そのぞんざいな物言いに何か言い返したくなったが、はただ黙ってその話の先を促すことしかできなかった。
「お前、ずっとオレのこと気にかけてくれてたろ。そのことについては感謝してんだ。お前の気持ちは一方通行なんかじゃない。ちゃんとオレに届いていた。どんなに落ちぶれていたとしても、必ず味方になってくれるヤツがいるというのは、想像以上に心強いもんだ」
こんな風に照れ臭そうに話す荒北の姿は初めてだった。それだけのことを気にしてくれていたのだろう。嬉しい。ずっと荒北のことを気にかけているのは自分だけで、荒北は自分のことを気にかけてくれていると思ったことがなかったけど、それはの思い込みだったようだ。荒北の言葉ひとつひとつがの心に深く沁みていった。
頭をよぎるのは、新開の「一度、康友と腹を割って話したらいいと思うよ」の言葉。きっと自分一人だけだったら行動を起こすことはできてなかったと思う。荒北の方からこうして話しに来てくれたことには心の中でそっとありがとうと呟いた。
「なぁ、オレのこと大事だと思うか?」
「うん、大事」
「それはオレも同じだ。だが、もう気づいてんだろ? その大事に思う気持ちが、お互いを縛り付けていることに」
気がついたらの瞳から涙がこぼれていた。冷たく凍りついた氷が溶けていくように、心が軽くなっていく。荒北が溶かしてくれたんだ。
「オレもお前を大事に思っているが、その……お前と手を繋ぎたいとか、キスをいたいとか、そういう風には思えネェんだ。それはお前も同じだろ」
「……うん」
思えるんだったら、こんなに苦しまずに済んだよ。
またひとつ、涙が頬を伝った。
「だから、お前は自由になれ。オレに囚われんな」
「靖友はそれでいいの? 私が誰かとつき合ったとして、未来の靖友は後悔したりしない?」
「ハッ、それはわかんネェな」
荒北は両手を広げておどけたような振りをした。
「肝心なのは今だろ? 今!! 未来の感情なんてわかんネェよ。……だいたい、誰かって誰だよ。一人しかいネェだろ」
最後の方は声が小さくてよく聴き取れなかった。その時、荒北のポケットの中でケータイが鳴り出した。それはメールだったようでメロディはすぐに鳴りやんだ。荒北はポケットからケータイを取り出し内容を確認すると、舌打ちを一つかました。
「チッ、おせっかいなヤロウだ」
そして預けていた背中を塀から離すと、それを合図にしたかのように闇の向こうから第三者の声が聞こえてきた。
「おーい、来たぞ荒北」
東堂だ。の心臓が大いに跳ねた。
「どうして東堂くんが……?」
「そんだけみんなお前のこと気にしてるってことだ。お前、チャリ部に入って正解だったな」
そう言い残すと荒北はの頭をぽんと軽く叩いた。そして片手を上げて闇の向こうへ歩いていってしまった。
「ヨォ東堂。あとは頼んだぜ。オレは帰る」
「はぁ? 帰る? 呼び出したのはお前ではないか」
「オレじゃナイ。新開だろ」
「新開がお前とここで待っていると。いやちょっと待て。新開はどこにいる?」
「いねェヨ。バァカ」
「はぁあ? じゃあオレは何のためにここに呼び出されたんだよ!?」
荒北は後ろを振り返り、東堂の視線を誘導した。荒北の視線が止まった先を見た東堂は息を呑んだ。今になってやっとがいることに気がついた様子だ。
「とにかくオレは帰る。あとは勝手にやってくれ」
ほんの数時間前までの自分だったら、こんな状況になったらパニックになっていただろう。東堂の突然の登場に驚きはしたけど、もう大丈夫。今は冷静でいられる。荒北が話を聴かせてくれたから。が荒北の味方であり続けるように、荒北もの味方でいてくれると今は信じられる。
簡単なことだったんだ。大事に想う気持ちと、異性として好きになる気持ちは交差するものだとずっと思っていたけど、両者の気持ちが交わらないこともあるんだということに気づいた今は、きっと素直な気持ちを言うことができる気がする。
「ありがとう、靖友」
「礼はいらん。ただし、ここで話してたことは今この瞬間から全部忘れろっ」
「難しい注文だね。でも靖友がそう望むのならそうするよ」
でも、ごめんね。忘れるなんて無理な話だよ。でも荒北がそう望むのなら、永遠に忘れたことにしようとは心に優しい気持ちを閉じ込めた。はどんどんと小さくなっていく荒北の背中を見送った。そこに残ったのはといまいち状況が呑みこめていない東堂の二人。少しねっとりとした熱い空気が肌にまとわりつく7月の夜。虫の音だけが聞こえていた。
今、目の前には東堂がいる。わだかまりは消えた。あとは覚悟を決めるだけ。ここで逃げ出してしまったら、本当の意味で荒北を裏切ることになってしまう。
―― そんなの、私自身が絶対に許さない。
「ねぇ東堂くん。急で悪いんだけど、私と靖友の話、聴いていってくれない?」
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2014.08.17