「どうしてこういう状況になっているのか、誰か説明してよ」
「知るか。つぅか、テメェのせいだろ」
「……」
―― 事の元凶が何を言っている。一番説明して欲しいのはオレの方だ。
すべての始まりは、が東堂に荒北を美容院に連れて行けと言ったことだった。一時は新開にその役割が回りそうになったが、結局、新開の「三人で行ってくればいいじゃないか」という一言ですべてが収まってしまった。
そんなわけで練習を終えた三人は並んで歩いている。いっそのこと、荒北がボイコットしてくれればよかったものを、なんだかんだでやって来るあたり、のことは無下にはできないらしい。
東堂の右側には、左側には荒北。二人の微妙な空気の間に立たされている東堂は肩身が狭くて仕方がなかった。
「荒北を連れていけと言ったのはだろう」
「そうだけど……。女の私が男の行く美容院に行ったってどうしようもないじゃない」
―― いや、そこは関係ないだろう。連れていくだけなら。
これがもし、今日は何もない休日での私服が見られるのなら、微々たるものだろうがこうして来る価値もあっただろう。しかし部活帰りの今日は、生憎、いつもの見慣れた制服姿だ。
「着いたぞ。ここだ」
「お、さすが東堂くん。すてきなお店じゃない」
大通り脇の路地を少し入ったところにある美容院。男性客の利用も多く、学校からもそう離れていないため、箱学の男子生徒が利用している姿もよく見かける。
「ここに入るのかヨ……」
こういう場所とは縁が薄そうな荒北にとっては入りづらいのだろう。しかし、ここまで来て「じゃあ、やめて帰りましょうか」とが言うはずがない。
「当たり前でしょ。さ、入るよ」
店内に入ると、程良い温度に設定されている冷房の風が肌に心地よかった。
「いらっしゃいませー。三名様でしょうか?」
「あ、いえ、散髪して欲しいのは彼だけです」
は荒北の背中を押しくる。
「一名様ですね。こちらへどうぞ」
お店の人は洗髪台を指差しながら、そこに座るように促した。
「……おい、マジかよ」
「何今更ひよってるの? そのために来たんだからいい加減覚悟を決めなさい」
「勝手に連れてきたのはテメェだろっ」
「ついてきたのは、あんたよ」
に容赦なく背中を突き出された荒北は、おぼつかない足取りで洗髪台へと向かった。
店員はにこやかに荒北を迎えている。こんなやばいヤンキーが相手だというのに、大方、男子高校生を相手にするのに慣れているのだろう。
何はともあれ、これでミッションはクリアだ。
「……」
「……」
「なぁ、オレたちはこれからどうするのだ? あいつの散髪が終わるまで待つのか?」
時が止まること数秒、
「……ごめん、考えてなかった」
はふいに東堂を見上げた。その瞳に吸い込まれそうになった時、
「二人でどこか行っちゃおっか」
いたずらな笑みを浮かべたはやっぱり可愛かった。
「あァ、おい、てめェらっ!! どこへ行く気だっ!!?」
洗髪台に座って倒されていく荒北を尻目に、と東堂は店の外へ出た。陽が落ち始めている外は、店に入る時よりも少しだけ涼しくなっていた。
「んー、やっぱり気持ちいいね。温泉は」
どこか行っちゃおっか。と勢いよく店を後にしたまではよかったものの、実際、こんな中途半端な時間から行ける場所なんてなかった。どうしたものかと行く宛もなく適当にほっつき歩いていた時、が唐突に「あ、あそこ行こう」と指を差して来た場所がここ、足湯だった。
「疲れた足を休めるのにちょうどいいでしょ」
「そうだな」
こうして二人で並んで温泉を楽しめるのも足湯ならではだ。高校生(のデート?)にしては少し地味な気もするが悪くはない。
は荒北から離れると意外と普通の女子だった。強気な性格故に言葉がきついところもあるが、概ね普通だ。とは言え、少し素直じゃなさすぎる気はするが、荒北から離れた今ならいつもよりは素直な話が聴けるような気がして、東堂はさり気なく質問をぶつけた。
「なぁ、荒北とはどういう関係なのだ? つき合っているわけではないのだろう?」
一瞬で空気が変わった気がした。いくらいつもより素直な話が聴けそうと思っても、さすがにいきなりこんな質問はまずかったか。またいつものように「はぁ? バカ言わないで」と返ってくると東堂は覚悟をしたが、の反応は意外にも東堂の想像と大きく異なるものだった。
「私と靖友が、つき合う……?」
「ん、どうした? いつものように声を荒げないのかい?」
「あ、いや、荒げたいところなんだけど」
その先を濁すはいつもと比べて歯切れが悪い。
「靖友は気づいたらいつもそばにいて、腐れ縁みたいなものだと思っていたから、そういう風に考えたことなかったなぁ」
思ってた以上にが素直に話し出して東堂は驚いた。が、それ以上に荒北のことを話すの瞳には優しさが孕んでいて、それが妙に気にくわなかった。
二人は恐ろしいほどに深いところで繋がっている。そう思わせるのに十分な反応だった。
「荒北のことが、大事なのか?」
聴きたくないはずなのに、ついそう訊いてしまった。
「大事……だよ」
そしてその一言が東堂の心に暗い影を落とした。
が自分にとって特別な存在になりつつあることに東堂は気づいていた。いや、新開に気づかされたんだ。「本当にオレでいいのか?」と確かめてきたあの時に。
今、の思考を占めているのは目の前にいる自分ではなく荒北だ。その愁う瞳も、優しさを孕んだ瞳も、全て荒北に向けられている。こんなにもに大事に思われている荒北が……羨ましい。
気がついたら、東堂はの唇に自分の唇を重ねていた。
重ねていたのはほんの数秒間。音のない世界に誘われていたような気分だった。
唇を離すと、は瞳を大きく震わせ東堂から視線を外した。怒るわけでもなく、照れるわけでもない。ただ視点の定まらない目を湯に向けていた。沈黙が重たい。
「帰ろう」
どちらも動けずにいた中、先に口を割ったのはだった。
「早く帰ろう」
は東堂の返事も待たずに湯から足を上げ、投げ捨ててあったソックスに足を通した。一刻も早くこの場から立ち去りたい。そんな気配がからひしひしと伝わってきた。
帰り道はずっと沈黙だった。
ここへ来た時よりもとの間に距離が空いてしまったのは、たぶん気のせいではない。
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2014.08.05