春。それは別れの季節でもあり、出逢いの季節。この季節を迎える度に必ずどこかで耳にするフレーズ。誰かを見送るのも寂しいけど、見送られる側になるのも存外に寂しいものなんだと、当事者になってみて初めて気づいた。
きっと寂しいと感じるのはほんの一時だけなんだろうって、どうせすぐに寂しさなんて忘れて、これから始まる新しい生活に期待を膨らませるのだろうって、そんなことはわかっているけど、今はこの寂しいって思う気持ちを大切にしてあげたい。
卒業式が終わり、最後のホームルームも終えたは部室に来ていた。今日は部活はない。だけど誰かしらいてくれるだろう。そう期待して来てみたのに、いざ扉を開けてみたその先に人影はなかった。誰もいない部室を見て改めて、明日からはここは私の居場所じゃなくなるんだ。と思わされた。
3年間の想い出が詰まったこの部室。みんなで分かち合った喜びも、顔をしわくちゃにしながら泣きじゃくった悔しさも、今はすべてが1冊アルバムに綺麗に収められている。1ページ1ページそれぞれボリュームがありすぎて、語り出したら夜が更けてしまいそうなくらいだ。
卒業式は涙の卒業式になると思っていた。だけど実際は、涙は一滴も出なかった。式の最中、すすり泣く声が聞こえても、教室で教壇に立つ教師の震わせた声を聞いても涙は流れなかった。それはきっと、明日からこの学校に自分がいなくなるんだってことを、どこかで信じられないと思っている自分がいるからなのかもしれない。
「にゃー」
部室の隅から1匹の猫が出てきた。首輪のないノラちゃん。通常サイズよりもちょっとふくよかの育ってしまったその猫は、荒北が時折可愛がっていた黒猫だ。
「にゃー」
はしゃがんで近づいてきた猫の頭を撫でてあげると、猫は頭を垂れて小さくうずくまってしまった。どことなく寂しそうな猫の鳴き声は、泣けないの代わりに泣いてくれているようだった。
これからこの子は誰に可愛がってもらえるんだろう?
「新しいご主人様を見つけるんだぞ」
明日からはお前を可愛がってくれていた荒北靖友はもういないんだからな。
目を閉じれば、鮮明に蘇ってくる数々の光景。
1人でもくもくと3本ローラーを回す福富。パワーバーをくわえながら走る新開。めんどくさそうな顔した荒北。東堂は途中入部した荒北によく噛みついていたっけ。飛び散る汗。高まる士気。汗臭いロッカールームに、みんなであぁでもないこうでもないと夜遅くまで語り合ったミーティングルーム。走り抜けた箱根の山道。ただひたすら目の前のことに必死だった日々は、振り返ってみたら、とても綺麗で優しい想い出になっていた。
そう、想い出なんだ。想い出になってしまったんだ。想い出は過去にしかない。
部室にたくさんのカラーゼッケンが収められた額が飾られている。はそのうちのひとつをそっと指でなぞってみた。3と記された赤いゼッケン。当時の汗が染み込んだ彼の勲章。歴代のカラーゼッケンは数あれど、この地元箱根の山を制した彼の功績はきっと後世に語り継がれるのだろう。どんなふうに語り継がれるのか、この目で確かめられないのは残念で仕方ない。
部室の扉に人影が差し、無遠慮に開けらた。
「やはりここにいたか。」
「尽八」
息を吹き返したかのように、静まり返っていた部室に春の風がふわりと舞い込んだ。
「みんな待っているぞ。早く来い」
「え、みんな?」
外に出てみると、たしかにみんないた。卒業証書の筒を持った、福富、新開、荒北、そして東堂。泉田や真波をはじめとした後輩たち。明日から普通に会えなくなるなんて、微塵にも思っていないような顔してみんなそこにいた。
中には同じ大学に進学する者もいるけど、基本的にこれからはみんなそれぞれの進路を歩むことになっている。小学校や中学校で仲が良かった子たちでも、卒業式を最後に「また会おうね」って言い合って別れたまま結局会わずじまいな友達はたくさんいる。だけど、彼らは、彼らだけはどうか、この先も縁が続いて欲しいと思ってしまう。そして願わくは、その輪の中に自分もいて欲しいと望むのは欲ばりな望みだろうか。
「せっかくだから、みんなで芦ノ湖まで足をのばそうって話になったんだ」
「自転車で?」
「いいや、今日は自分たちの足でだ。だから、」
東堂はに手を伸ばした。
「も一緒に」
「……いいの?」
そこに、私が混ざってもいいの?
「当たり前だろう。がいなきゃ箱学のオレたちの代は始まらないではないか」
「あ……」
手を伸ばす東堂の後ろには当たり前だろと言わんばかりにみんながいた。東堂と同じように、みんな手を差し出してくれていた。
バカだな、私。
その輪の中に自分もいて欲しい? そんな望みを持つ必要なんて最初からなかったんだ。何1人でみんなから離れる覚悟をしていたんだろう。みんなは当たり前のように自分を受け入れてくれるのに。
終止符が打たれたと思っていた想い出のアルバムは、これからもゆっくりと追加されていきそうだ。
そしていつか、みんなで振り返ったみた時にはきっと、ここで過ごした日々は綺麗なセビア色の写真になっているのだろう。
また、みんなでこうやって集まろうね。
心の中でそっと小さく囁いた。声に出さなくてもきっと大丈夫。みんな同じ気持ちでいてくれると、今はそう強く信じられる。
青い写真
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いつか書いてみたいと思っていた卒業ネタ。最初は真波くんで構想を練っていたけど、いざ書き出してみたら、東堂さん寄りに仕上がっていました。東堂さんである必要はなかったけど、私が東堂さんを好きだからこうなってしまったんでしょうね。ごめんね真波くん。
2015.03.15