最初は気持ちが通じ合うだけでよかった。好きな人から好きだと言われ、私も好きだと伝えて、ただそばにいられるだけで心は満たされていた。それなのに、いつからだろう。ただそばにいるだけじゃ物足りなく感じるようになったのは。もっと私に触れて欲しい、抱きしめて欲しい、それ以上に……私が触れたい。
「浮かない顔して、何か悩み事?」
「新開くん」
荷物をまとめて部室の外で東堂を待っていると、新開が話し掛けてきた。と東堂は部活の練習後はいつも一緒に帰っている。世の中の高校生に比べて多忙を極める二人にとっては、学校の登下校とお昼休みを一緒に過ごすのが言わばデートのようなものだった。
「で、何に悩んでんの? 恋のお悩み?」
「勝手に悩んでるって決めつけないでよ。別に悩んでなんかいないから」
そう言いつつも、は目を泳がせた。これでは図星だと言っているようなものだ。
「ちゃんは嘘が下手だね」
悩み……なんてほどのものではない。こんなバカバカしい悩みがあってたまるか。嘘が下手だと言われようと、何と言われようと、こんな恥ずかしい悩み、口が裂けても言いたくない。ただ手を繋ぎたいだけだなんて。いっそのこと、自分から行動してしまった方がいいのだろうか。そこまで考えてはその考えを捨てた。だめだ。そんな簡単にできるのならこんなに悩んだりはしない。
「尽八はちゃんにだけは特別奥手だからな」
「……」
何だろうこの「オレには全てわかっているんだぞ」的な発言は。前々から思っていたけど、新開は勘がよすぎる。その大きな瞳が全てを見透かしているようで時々恐くなる。
「思い切って行動起こしてみたらどうだい? きっと尽八も喜ぶと思うぜ」
「……さっきから何なのよ!? さっさと帰ってよ」
「あぁ帰るさ。主役が来たみたいだからね」
え? と思いながら振り向くと、薄暗い中からこちらから向かってくる影がひとつ。
「、待たせてしまったようだな。すまない」
東堂が片手を上げながら現れた。
「む、と何をしている新開」
いつも落ち合う場所にしかいないと思っていた東堂は、新開を見るなり、訝しげな視線を新開に送った。
「何もしていないさ。ただ、ちゃんが悩んでるようだったからちょっとな」
「悩み?」
「あ、ちょっと勝手なこと言わないでよ新開くん!」
新開は手をひらひら振りながら、冷や汗をかいていると頭に疑問を浮かべている東堂の間に微妙な空気を残して行ってしまった。
※
二人で並んで歩く帰り道は無言だった。気まずい……。初めて二人で帰った時だってこんなに気まずくなかったというのに。これも全て新開のせいだ。新開が余計なことを言うから、妙に意識をしてしまう。が気まずさに悶々していると、東堂は沈黙を破り口を割った。
「先ほど新開が言っていた……」
来た。やっぱり来た。
「悩みとは何だ?」
訊いていいものなのかならないのか、新開から聞かされてからずっと気になっていたのだろう。今までの沈黙がその躊躇いを物語っていた。それでも訊いてくるということはのことを心配してくれているからなのだろう。そう思うとは嬉しいと思う反面、申し訳なさが募った。そんな大層な悩みじゃないのに。手を繋ぎたい。たったそれだけの言葉が言えないほど自分は憶病だったのかと思い知らされる。
「悩みなんてほどのものじゃないの。だから気にしないで」
「いや、気になるだろ。そこは」
「……言いたくない」
「なぜだ? 新開には話せてなぜオレには話せない?」
「新開くんには何も話していない。新開くんが勝手に私に悩みがあるって決めつけただけ」
気がついたら、と東堂は睨めっこ状態になっていた。深く掘り下げて欲しくない話題というのは誰しもが持っているものだと思う。にとってはまさにこれがその話題だ。恋人同士が二人並べば自然と手を繋ぎ甘い雰囲気になれるものだと思っていたけど、どうやらそれは幻想だったらしい。意地しか張れない自分がもどかしくてたまらない。
そうこうしているうちにもう分かれ道だ。微妙な空気をまとったまま今日はここでさようなら。そうなるはずだったのだが、ハプニングは突如としてやってくるものだった。「それじゃ、また明日」そう言ってが角を曲がろうとした時、その角から突然、無点灯自転車がかなりのスピードを出してこちらに突っ込んできた。
「危ない!!」
「きゃっ」
突然のことすぎて反応が遅れたの腕を東堂が引き、一大事は何とか免れた。心臓が止まるんじゃないかと思うほど驚いたが、それ以上に腕を引かれたことによってバランスを崩した身体が東堂の腕の中に収まっていることにの鼓動は早まった。
「大丈夫か? 」
「……うん。ありがとう」
こうやって抱き寄せられると、やっぱり東堂は自分とは全然違う男の子なんだなと思う。鍛えられた身体に、汗と制汗剤の混ざった夏の匂い。は東堂の肩に顔を埋めた。
「?」
「……手を繋ぎたかったの」
「手?」
「そう、手」
「それが悩みか?」
「うん」
たぶん、面と向かって言う事はできない。だから顔を埋めたままは言った。すると、の手に突然ぬくもりが宿る。背中にまわされていたはずの東堂の手はいつの間にかの手を握っていた。
「尽八?」
は顔を上げた。至近距離で見る東堂の顔は、自らを美形と称するだけあって綺麗だった。
「貧相な悩みだな」
「だから、そう言ったじゃない」
「だが、嬉しいぞ」
思わず言葉に詰まってしまった。そんな風に笑うなんてずるい。今まで悩んでいた時間は何だったんだろう。そんな嬉しそうな顔をしてくれるのなら、もっと早く行動を起こしていればよかった。
「こうしてと触れ合えることをオレは嬉しく思う」
同じだ。こうやって手を繋いだり、抱き合ったりしたいと思うのはの一方的なものではなかったんだ。その事実が嬉しくてたまらない。触れ合う手から優しさが溢れて心が満たされていく。どうしよう……癖になりそう。今は手を繋げたことで心が満たされているけど、いつかこの触れ合いたい欲はどんどんと膨らんでいって、歯止めが効かなくなるんじゃないかと恐くなる。でもきっと、恐怖を乗り越えた先にはあたたかくて優しい時間が待っているのだろう。
はほんの少しだけ背伸びをして、東堂の唇に自分の唇を重ね合わせてみた。
ぬくもりの宿る場所
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都合よく現れる無点灯チャリ。私も無点灯チャリと接触しそうになったことが何度かあります。至近距離に近づくまでチャリが接近していることに気づけなくて、本当に恐いんですよ。あれ。
2014.08.23