机の上に置きっぱなしにしていた携帯がけたたましく部屋中に鳴り響いた。そういえばマナーモードにするのを忘れていたっけ、なんて思いながら携帯を手に取ってみると、息が詰まるのではと思うほど私の心をかき乱す相手からの着信を知らせるものだった。懐かしいなんてももんじゃない。私は震える手で通話ボタンを押した。

「……もしもし」
?』
「うん」

第一声は電話口が私かどうかを確かめるものだった。久しぶりに私の名前を呼ぶその声に、胸が高まり、私の全身はたちまち熱くなる。

『お久しぶり。違う人が出たらどうしようかと思ったけど、ちゃんと繋がったみたいだね。良かった』

私が知っている声よりも少し落ち着いた声。もう変わっているかもしれないし、直接連絡を取り合うこともないだろうと思いつつも、今まで消せずにいた電話番号とアドレス。あの頃からお互い、まだ変えずにいたことを今知った。

「びっくりした。どうしたの? 急に」
『不躾で申し訳ないんだけどさ、今度……』



毎日、退屈な日々を過ごしていた。朝起きて仕事に行き、帰ってきてご飯を食べる。洗濯をしてたまに掃除もする。帰りが遅くなるとご飯は作り物を買って帰ってくることもしばしばだった。自分のためだけにご飯を作るというのは、私にはできない。実家暮らしであるならば、もう少しまともな生活をするのだろうけど、あいにく私は一人暮らしだ。自分さえ良ければ何でもいいや、と思ってしまうのは、私の悪い癖なのかもしれない。


大学を卒業してから早数年。気づけば年齢も20代半ばから後半へと差し掛かっていた。周りの女友達はみんな、結婚を意識した恋愛を始めている。私もそういうのを気にした方がいいんだろうなと思いつつも、結局一人でいることを選んでしまう。その原因は、自分でもわかっているつもりだ。

「彼氏はいないのか」とか、「気になる人はいないの?」と訊かれ、「いない」と答える度に、心に引っかかる相手がいる。もう、会うことがなくなってから片手では足りないくらいの年月が経っているというのに、未だに忘れられない。自分でも未練がましいと思う。


彼、椎名翼は、私が通っていた中学校に2年生の時に転校してきた。その時からクラスが同じで、進む高校も同じで、高校を卒業するまでずっとクラスが同じだった。もはや腐れ縁といっていいほど、いつも一緒だった。

ずっとクラスが一緒だったから……という以上に、私と翼は仲が良かったと思う。私も翼のことは信頼していたし、翼も女子の中では私のことをとりわけ信頼してくれていたと思う。

ただ、私だけが信頼以上の感情を彼に抱いていた。それだけが二人の相違点だった。

私が翼を好きだと意識し始めたのは、中学3年の時のバレンタインデー。彼がたくさんチョコをもらう姿を見て芽生えた嫉妬心に、初めて彼に抱く自分の感情に気づかされた。この頃にはもう進む高校が決まっていて、私は翼と同じ高校に進めることを密かに喜んでいた。私は焦らなくてもまだ一緒にいられる。チャンスだっていっぱいあるはずだと。

翼は高校に上がってからも相変わらずモテて、いつも誰かしら彼女が隣にいた。翼の隣にいる彼女たちを見て、何度羨ましいと思ったことか。私がそのポジションにつくことを許されたことは、一度もなかった。結局そのままずるずると日々を過ごし、高校を卒業と同時に、はい、さようなら。



あの頃は、どうして私を選んでくれないんだろう、なんて思っていたけど、結局、想いを告げられなかった私がただ臆病なだけだったのかもしれない。


そして今、その椎名翼から電話が来た。消化することができないまま、薄れていた記憶が徐々に輪郭を取り戻していく。

『今度、会えないかな?』

そんなこと言われたら、嫌でも期待しちゃうじゃない……。





翼が待ち合わせ場所として指定してきたのは、こじんまりとしたおしゃれな居酒屋だった。先に着いていた私はブランデーを飲みながら翼を待っていた。そしてそろそろ一杯目が飲み終わろうかという頃、出入り口の扉が開いて翼が入ってきた。

「悪いね。待たせてしまったみたいで」

翼は私のグラスの中身が半分以上減っているのに気づいて、詫びの言葉を入れた。

何年ぶりかと数えるのが億劫なほど、直接会うのは久しぶりだ。翼の姿を見て、鼓動が早くなるあたり、やっぱりまだ好きなんだなって思い知らされる。あどけなさが抜けた翼は文句なしにかっこよかった。

「雰囲気変わったね。背はあまり変わってないみたいだけど」
「一言余計だよ」

翼は私に同じのでいいのか尋ねたあと、店員にブランデーを二杯注文し、私の正面に座った。

「改めて、久しぶりだね。の方こそ雰囲気が変わっていて驚いたよ」
「そうかな?」
「うん、きれいになった」

想定外の唐突なほめ言葉に、何て答えたらいいのかわからない。これを言ってきた相手が翼でなければ素直にありがとうと言えたのかもしれないけど、今、目の前にいるのは翼だ。そんな余裕はない。私は照れや恥ずかしさを隠すように、運ばれてきたブランデーを一口飲んだ。

それでも(私の方が一方的にだけど)ドギマギしていたのは最初のうちだけで、次第に私たちは今まで会っていなかった分の時間を取り戻すかのように会話が弾んだ。

懐かしいな、この感じ。そういえば中高生の頃もいつもこんな風に話していた気がする。


話の盛り上がりも過ぎた頃、私はずっと疑問に思っていたことを訊いてみることにした。本当は怖くて訊けそうにもないと思っていたけど、今なら自然な流れで訊けそうな気がする。

「あのさ、どうして急に会おうなんて言い出したの?」

その疑問を投げかけると、翼は待ってましたとばかりに笑みをひとつこぼした。その笑みに含まれる意味は何なのだろうか。期待が半分。残りの半分は、期待外れだったらどうするのだという自制心。

「そう訊いてくるってことは、僕に何か期待しているでしょ」

そんな言い方はずるいと思った。

「先に訊いたのは私の方よ」
がそう訊いてきてくれることを、僕も期待していたよ」

やっぱりずるい。でもそれと同時に私の期待は高まった。嬉しさ反面と、何を今更という思い。あれから何年という月日が経っていると思っているのか。

「我ながら女々しいと思っているよ。今更、が僕をどう思っているかなんてわからないのにさ」
「ちょっと待って。それってどういうこと? あの頃、私の気持ちに気づいていたってこと?」

涙を拭う権利



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このお話は1年くらい前に書き終えていました。長い間温めていて久しぶりに引張り出して読んでみたら、東堂くんのお話とどこかしら似ている……。気づかないうちに似たようなお話を書いてしまうものなのですね。
2014.08.23