空を飛べたら……
鳥のように空を飛んで地上を見下げてみたら、いったい何が見えるのだろう?
空高く飛ぶ鳥たち、上空からみた人間は米粒ほどにしか見えないのだろう。



ひとりひとりの名前が呼ばれて手元に戻ってくる中間テストの答案用紙。点数を見て歓喜の声をあげているものもいれば、落胆しているものもいる。点数の悪かった者たちには追試験が待っており、ある一定ラインの点数以上を採らないと合格は認められない。そして、その点数は回を重ねていくごとに上がっていくので、多少の苦労をしてでも本試験で合格ラインに達した方が賢明なのだ。

今日、返されたのは数学のテスト。今回のテストを作った先生は難しい問題を出すので有名で、合格ラインに達しなかった生徒は他の科目に比べると多かった。
とはいっても、この男、三上亮にとっては少しくらい難しい問題だったとしても、追試験の心配をする必要などいらない点数を採ることは、難儀なことではなかった。

昼休み、三上は屋上に向かっていた。屋上へとつながる扉を開けてみると、そこにはすでに先客がいた。三上と同じクラスの。クラスでは、そういえばこんな奴もいたな、と思うくらいの特に目立っているわけではない女。はフェンスに腕を乗せて空を見上げていた。一枚の紙を片手に持ちながら。

物音に気付いたからか、は振り返って扉の方を見た。ゆっくり振り返る姿からも、その表情からも、特に来客に驚いている様子はなかった。

「三上?」

三上の姿を認めると、は誰かが来たというよりは三上が来たことに少し驚いたようで、意外そうに三上を見つめた。

「三上も屋上に来ることあるんだ」
「……わりぃかよ」

「いや、あたしはよくここに来るけど、三上と会うのは初めてだなと思って」

そう言うとはまた空を見上げた。三上はがいたから戻るという選択肢はないらしく、そのままフェンスにもたれるように座って目を閉じた。も気にした様子はなかった。

それから、しばらくお互い口を開くことはなかった。ただ聞こえてくるのは耳もとを通り過ぎていく風の音だけ。 


「ねぇ三上、空を飛んでみたいと思わない?」

沈黙を破ったのはだった。三上は閉じていた目を開いてを見上げてみたが、当の本人の視線は相変わらず空に向かっていた。

「頭でもぶつけたのか?」

三上は素っ頓狂な質問をぶつけてきたに逆に問いかけると、はくすっと口元を緩めて三上の方を向いた。

「まさか。……ねぇ、鳥になって飛んでみたいと思ったことないの?」
「……考えたこともねぇな」

何か答えを返さないと質問をやめなさそうなに、三上はめんどくせぇなという思いで答えた。

「あたしはいつも思うんだ。鳥になって空を飛んでみたら、人間なんてこの世界でどれだけちっぽけな生き物に見えるんだろうって」

気が付けばはいつの間にか腰をかがめて三上と同じ視線の高さにいた。先ほどまで穏やかだった顔が少し険しくなっている。

「……でも、人はみな、それに気付かない。自分が大きな生き物だと思っている」


地上から見た世界、とりわけ大都会から見た世界は何もかも大きく見えるだろう。自分自身もそれ以外のものも。では、上空から見た世界はどうだろう。地上では大きく見えていたものは米粒ほどにしか見えない。ましてや、銀河から見てみたら限りなく無に近いのではないだろうか。

でも、その限りなく無に近いものがひしめき合って世界があり、銀河がある。


は手に持っていた紙でおもむろに何かを折り始めた。

「だからあたしは、鳥になって空を飛んで、自分がどれだけ小さな生き物なのか見てみたい」
「変わってるな」

三上がそう言えば、はやっぱり笑う。に折られている紙は、幼いころ、三上もよく折って近所のガキとどこまで飛ぶか競っていたものの形に少しずつ姿を変えていく。

「そうかもね。でも、今のあたしがなれるのは、せいぜい紙飛行機が限界かな」

その言葉とともに折りあげられた紙飛行機が放たれる。風に乗って飛んでいく紙飛行機は、やがて方向感覚を失って校舎の裏の茂みの中へと墜ちていった。

「いいのかよ。今のさっき返されたテストだろ?」
「いいのよ」

三上は”誰かに見られたら点数がばれるぞ”ということを暗に含めて言ったのだが、にとっては問題ないらしい。それなら、人に見られても恥ずかしくない点数なのだろうか?

「よっぽど自信があるんだな」
「自信なんてないよ。だってアレ、25点だもん」

予想外の返答に、こいつ何考えてんだ? という顔で三上はを見た。

「あたしにとって、テストの点数なんてどうでもいいことなのよ。……でも、」

そこでは一度、言葉を切って、また空を見上げる。雲ひとつない空には飛行機が横切って、1本の白いラインをつくっていた。この世界を二分するんじゃないかというくらいの白くくっきりしたラインを。

「どうしてライト兄弟は空を飛ぼうと思ったんだろうね」
「はぁ?」

脈絡のない言葉に思わず変な声が出てしまう。

「んなもん、飛びたかったからだろ」
「そう……。ただ、飛びたかったんだろうね。そこには何の理由もない」

「さっきから何が言いたいのかよくわかんねぇんだけど」

くすっと笑ったは視線を下げて、今度は三上の目を見て話した。


「わけわかんなくてごめんね。ただね、好きなことをやりたいなら最低限やらなきゃならないことをやらなきゃなって思ってさ。三上だって好きなだけじゃサッカー続けていられないでしょ?」


言い終えるとは腰を上げて歩き出した。三上は思わずどこに行くんだ? と問いかけてしまった。

「だってもう昼休み終わるよ?」

振り返って答えたはまた歩き出し、扉を開けて校舎の中へと入っていった。バタンという扉が閉まる音と同時に昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響き、三上もまたが出ていってから少しして教室へと戻っていった。

その後、行われた追試験では難なくクリアしたという話は、教師がぼやいてるのを通りすがりに三上は聞いて知った。

やればできるやつなのに、あいつはやらない、と。

空を見上げて、紙飛行機を飛ばす



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数年前の私は一体何を考えていたのでしょうかね。こんな哲学めいた話、たぶん今はもう書けないと思います。
2011.08.31 加筆修正
2014.07.08 編集