海の日。とある神社の鳥居の前。人々の往来が激しい中に黄瀬の姿があった。紺にストライプ柄の甚平をまとった黄瀬。往来する人々の半数以上もまた和服に身を包んでいる。
夏祭りとは不思議なもので、普段なら耳を塞いでしまいたくなるようなどんちゃん騒ぎも、今は心を高揚させるBGMのひとつになる。

黄瀬は腕時計の時間を気にしながらあたりを見渡した。約束の時間までまだ30分もある。いくら何でもこんなに早く来るはずがないとわかっていても、一人であたりを見渡しながら歩いている女子の姿を見かけるとつい待ちわびている相手ではないかと期待をしてしまう。

期待をしては落胆し、を何度か繰り返した頃、今度こそ本当の待ち人が黄瀬の視界に飛び込んできた。今まで見送ってきた者たちと同じように、あたりをキョロキョロ見渡しながら歩いてくるその姿は、素直にかわいいと思った。

黄瀬の姿を見つけた彼女は、表情をぱっと明るくさせ、黄瀬の方へ向かって駆け出した。慣れない浴衣と下駄でよたよた走りになっている。

(やばい。まじでかわいい。今更緊張してきたっス……)

「ごめん、黄瀬くん。待たせちゃったみたいだね」
「全然そんなことないっスよ。まだ約束の時間の10分前じゃないっスか」

白地に淡い花柄の浴衣。普段は下ろされている髪は、今日は上にまとめられており、視界にちらちらと飛び込んでくるうなじに黄瀬は息を呑んだ。

「そ、その浴衣、よく似合ってるっスよ、さん」
「そう? ありがとう。黄瀬くんこそ甚平姿似合っているよ。黄瀬くんって和服も似合うんだね。いつもと雰囲気が違ってびっくりしたよ」

心なしか、彼女の方もほんのり赤くなっているような気がした。淡い期待がついつい芽生えてしまいそうになる。

「とりあえず行こっか」
「うん」

彼女の歩幅に会わせてゆっくりと歩き出す二人。黄瀬は隣を歩く彼女を見下ろしながら、数日前のことを思い出していた。





金曜日、昼休み。

(きょ、今日こそ誘うんだ、オレ……!)

高校に入学して以来、ずっと気になっていたクラスメイト、。普段は女子にキャーキャー騒がれる黄瀬だが、どうやら彼女にはそういうミーハーなタイプではないらしく、黄瀬がモデルをやっていることを知っても、「へぇ、そうなんだ。すごいね」と純粋に褒めるだけだった。
気になる相手がミーハーな女子なら、声を掛ければ二つ返事でオーケーしてくれるだろう。断られる心配もない。だが、今回の相手はミーハーじゃないだ。正直どんな反応が返ってくるのか想像がつかない。だからこそ躊躇ってしまう。

なぜ、こんな苦手とする女子が気になるのだろう。でも、たぶんきっと、がミーハーな女子だったら、不特定多数の中に紛れてしまって、好きにはならなかったのだろう。


お誘いしたい夏のビッグイベント、夏祭りは明々後日の月曜日、祝日だ。今週に入ってからずっと声を掛けるタイミングを見計らっていたが、うだうだしているうちにあっという間に金曜日になってしまった。明日は土曜日で学校は休み。つまり勝負をかけるなら今日しかないということだ。

もうすぐ昼休みが終わる。先ほどまで教室に姿がなかったは、ちょうど友達数人を引き連れて戻ってきた。話しかけるタイミングは今しかない。今を逃せば残すは放課後のみ。放課後は部活がある。迷っている暇はない。

(ええい、行ってしまえ!! ダメだった時は砕けるだけだ!)

「あ、あの、さん……!」

突然話し掛けられたは、黄瀬が想像した以上に驚いていた。それを見て一瞬怯んでしまったが、ここまできたからには、もう後には引けない。

「突然なんスけど、月曜日の夏祭り、一緒に行かないっスか?」
「え、」

言った! ついに言ってしまった……!!
は驚きのあまり固まっている。その時間はわずか数秒だが、意を決して誘った黄瀬は口を真一文字に固く締め、永遠にも続きそうなその時間を待った。

「夏祭り? 私と、黄瀬くんが一緒に?」
「そっス」

次に彼女の口から出る言葉は何なのだろうか。不特定多数の女子から追いかけられるのは慣れているが、特定の女子を追いかけるのが初めてな黄瀬にとっては、一世一代の勝負に出たと言っても過言ではない。

「……いいよ」
「まじっスか! やった!!」

固唾を飲んで待っていた返事は、想像以上に黄瀬を歓喜させた。天にでも昇ってしまいそうな気持ちとは、こういうことか。黄瀬は喜びのあまり、とっさに彼女の手を取って、

「ありがとっス! じゃあ、月曜日、夕方の6時に神社の鳥居の前で待ち合わせで!」

とまくし立てるように告げた、それを見計らったかのように、ちょうど昼休み終了のチャイムが鳴った。





「何か食べたいものとか、やりたいこととかあるっスか?」

鳥居をくぐると、神社の中は更に混雑を極めていた。本殿へと続く道の両サイドにはところ狭しと屋台が並んでいる。

「食べたいもの?」

は人差し指を口元に添えて考え始めた。なぜ食べ物だけに限定されているのかは謎だ。

「りんご飴、食べてみたい。実はりんご飴って食べたことなくて」
「りんご飴ね、了解っス。……あ、あそこにちょうど屋台出てるっスね」

りんご飴の屋台を見つけた黄瀬は、無意識にの手を取って人混みをかき分けるように進んだ。りんご飴の屋台の前に着いた時、黄瀬はそこで初めての手を握っていたことに気がついた。

「わっ、ご、ごめん」
「う、うん、大丈夫」

黄瀬は今更ながら自分がとっていた行動に赤面して、その手を離した。このままどさくさに紛れて握ったままでいられる勇気が黄瀬にはまだなかった。そしてそんな恥ずかしさをごまかすように、黄瀬は指を2本立てながら屋台のおにいさんに注文を伝えた。

「おにーさん、りんご飴2本ちょーだい」
「まいどあり〜」

二人で並んで歩きながらりんご飴を頬張る。もっと彼女に普段以上にかっこいい自分を見せたいのに、好きな子に対する緊張はこんなにも思考を鈍くするものなのか。黄瀬はまだ始まったばかりだというのに、早々にため息がひとつこぼれてしまった。

このままではへたれのレッテルが貼られたまま終わってしまう。どうにかいいところを見せたい黄瀬は、を金魚すくいに誘った。勝算はある。昔から金魚すくいは得意だ。
が、現実はそんなに甘くはなかった。
緊張した体はいつものように動いてはくれず、3回トライして3回ともすぐにポイを破いてしまった。

「そんな落ち込まないでよ黄瀬くん。私は楽しかったよ」
「う〜、その言葉はありがいけど、やっぱり悔しいっス」

いいところを見せようとして失敗して、結局彼女に励まされている。なんとも情けない。

「ねぇ黄瀬くん、気を取り直してさ、そろそろお参りにでも行こうよ」
「……そっスね」



時間が経つにつれ、混雑はより一層極めていたが、本殿のあたりは意外にも静けさがあった。二人で並んでお賽銭を投げ、柏手を打つ。どうか、目の前にある幸せとチャンスを掴めますようにと、そんな願いを込めて。

「のど、渇いてきてないっスか? オレ、ちょっと飲み物買ってくるから、ここで待ってて」

黄瀬は、近くの屋台へと駆け寄った。気づけば陽は完全に落ち、空は闇の色へと姿を変えていた。明日も学校がある。高校生の身分である以上、あまり遅くまではいられない。

(結局、いいとこなしっスか)

緊張しすぎると、思考は普段の半分以下しか機能しないものなのだなと、黄瀬は自嘲の笑みを浮かべた。心に宿る感情は、好きな子と祭に来れた喜びと、思うようにうまくいかなかった後悔。今は後悔の方が少し大きい。

屋台のおっちゃんに代金を払い、飲み物のカップを二つ抱えた黄瀬は振り返った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
のそばに二人の男の姿があった。自分でいうのもアレだが、いかにもチャラそうな二人だ。困った顔をしているを見れば一目瞭然、あれはナンパだ。

もう何も考えられなかった。黄瀬は持っていたカップを投げ捨てて、のもとへと一目散に駆け寄り、を庇うように二人の男ととの間に立った。

「何してるんスか。彼女はオレのツレなんで、手を出さないで欲しいっス」
「黄瀬くん……」

「ンあ? んだ、てめっ」
「つーかツレいんのかよ。つまんねぇの」

黄瀬の姿を見るなり、男二人は急激に熱が冷めたかのように意外にもあっさりと身を引いた。修羅場になることも有りうると覚悟していただけに、少し拍子抜けだ。でも、彼女に何事もなくてよかったと、黄瀬はほっと胸をなで下ろした。が、その束の間、

「ありがとう、黄瀬くん」

の声でスッと我に返った。

「ありがとうじゃないっスよ! さんを一人にしたオレも悪いけど、困っているならもっとオレを頼って欲しいっス」

困った時に自分に頼るという選択肢がなかったのだろうか。その時に自分の顔が浮かばなかったのだろうか。この際、何だっていい。困った時に一番最初に頭に浮かぶのは自分の姿であってほしい。一方的に好きなだけじゃ力になれないというのなら、そんな壁は壊してしまうしかない。

「もう……、ムリっス」
「え、わっ、え、黄瀬くん!?」

黄瀬は耐えかねての腕を引き、愛しいその存在を腕の中に収めた。もうこの際、彼女の顔が赤いのも、それ以上に自分の顔が赤いのも、どうでもいい。隠す必要はもうない。

さん……いや、! 好きっス。ずっと前から、ずっと……!」

好き。その言葉にはビクッと体を震わせた。
自分よりもずっと背の低いの表情は、俯いていて見ることができない。その表情には困惑の色を浮かべているのか、それとも違う色を浮かべているのか。黄瀬は考えることをやめてかまわず続けた。

「オレとつき合って欲しいっス」

縁日



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なんと、このお話を書いたのは三年も前でした。ずいぶんと長いこと私のUSBメモリの中で眠っていたようです。ちょっと恥ずかしいけど時期的にはちょうど良いので、公開することにします。ほんの少しでも読んでくださった方のお祭妄想の手助けにでもなれば幸い。
2017.07.23