昼休み明けの授業前、隣の席のさんは開口一番にそんなことを言ってきた。それに対して「また?」と答えたのは「教科書を見せて」と言ってきたのは今日が初めてではないからだ。それも一度や二度なんてもんじゃない。一週間に一回は必ず忘れてくる。
「うーん、ごめんね。でも減るもんじゃないでしょ?」
「悪いと思ってないくせに」
「ははっ、ばれてたか」
そう言いながらさんはいたずらな笑みを浮かべて机をくっつけてきた。いいなんて一言も言ってないのに。別に断る理由もないから構わないんだけどさ。たしかに減るもんではないし、授業中に邪魔してくるわけでもないのは事実だから。
「隣の席、英士くんで良かった。いつも感謝してるよ」
「そう思うんなら、ちゃんと教科書持ってきてよ。だいたいどんな風に鞄の中詰めてるわけ?」
「これでもちゃんと時間割確認しながら詰めてるんだよ? でも、ついうっかりして忘れちゃうの」
これが嘘なのか本当なのか、さんの表情からは読み取れなかった。
始業のチャイムが鳴る。ちょうど先生が教室に入ってきて、授業が始まった。指定された教科書のページを開いて、二つの机に橋を架けるように置いた。
退屈な授業、俺は先生の話を半分聞きつつ、半分は放課後のことを考えていた。今日はロッサの練習がある日だ。授業は何時に終わるから、何時の電車に乗って……練習場に着くのは何時頃かな、とかそんなこと。
そうしたら急に視界に揺れてるさんが入ってきた。
寝てる。
頭をカクカクさせながら。こういう風に寝てる人を見ると、いつも首の骨が折れないのかと心配になる。いや、それよりも椅子から落ちないことの方が不思議だ。
どうやってバランスをとっているんだ?
午後の授業のせいだからなのか、この先生の授業がつまらないからなのか、寝てるのはさんだけではなかった。堂々と机に突っ伏して寝てる者もいた。
※
「ありがとう英士くん。助かったよ」
「よく言うよ。寝てたくせに」
「ははっ、ばれてたか」
さんはさっきと同じセリフをつぶやいた。特に悪びれる様子もなく。別にそれで嫌な気分になるわけじゃないから、いいんだけど。さんらしいなと思うくらいだ。
あれから一週間後、席替えが行われた。俺とさんは教室の端と端に見事に離れた。別れ際に「あ〜あ、もう英士くんに教科書見せてもらえないのか」なんて言ってたっけ。今では教科書を見せていたことを懐かしく思うよ。
「さんって、授業中よく寝てるよな」
それは、次にさんの隣の席になったやつの言葉だった。
「さん、よく教科書忘れてくるでしょ?」
こいつもきっと、俺と同じ運命をたどってるんだろうな。そう思って、いつもお疲れという意も込めて俺はそいつに言った。
「? いや、さん、教科書忘れてきたことないと思うけど」
「えっ?」
そんなはずない、と思って、彼の顔を見てみたけど、嘘をついてる様子は見受けられなかった。教室の中を見渡す。いた。さん。机の上に腰かけながら、クラスの女子と話している。その横顔は、俺がよく知っているいつもの笑顔だった。
忘れる理由
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2010.11.14
2011.08.31 加筆修正
2014.07.08 編集