空は朝からどんよりとしていた。天気予報では夕方から降り出すと言っていたのに、雨は一足早く昼過ぎから降り出していた。
梅雨の時期にふさわしい、土砂降りの雨だ。
そんな雨の中、傘も差さずには身を投じていた。
には中学の時からつき合っていた彼がいた。過去形なのはついさっき振られてしまったからだ。同じ中学校に通っていて、高校は別々の学校へ進学した。高校に入学してからは当然のように会う時間は減っていき、最初は見えないほど小さかった亀裂はいつの間にか大きくなりすぎていた。
とにかく今まで共に過ごしてきた時間はなんだったんだろう? というくらいひどい振られ方だった。振られる瞬間までお互い好きでいると信じていただけに、ショックは大きい。
「悪い。お前のこと好きなつもりでいたけど、たぶん違った。オレ、お前のこと大事にしたいと思えないんだわ」
その瞬間、は動けなくなった。自分の存在価値までもが否定されたみたいで、呼吸が苦しくなるほど心をえぐられた。耳の奥で楽しかった想い出や幸せだった想い出の全てが音を立てて崩れていくのが聞こえた。
そして彼は、動くこともできず、ただ茫然と立ち尽くしているを置いてどこかへ行ってしまった。
気がついたら雨が降り出していた。
雨に打たれてからようやく泣くことができた。こんな雨の中、傘を差さずにいるのは不自然だけど、泣いているとわからないのならそれでいい。
いっそのこと、この雨に流されて消えてしまいたい……。
「お前、こんなところで何してんだ?」
俯いた視線の先に、大きな足のつま先が見えた。
「青峰くん……」
そこには見上げるには少し首が痛くなる男、青峰が立っていた。青峰もまたと同じ中学で、今もクラスメイトとして同じ高校に通っている。つまり、つい今し方を振った彼のことも知っている。
しばらく無言で向かい合っていたが、いい加減見かねた青峰はを自分の家へと連れていった。あの場所から青峰の家は近かった。青峰の家にはなぜか年頃の女ものの服が数枚あり、そのうちの1枚には半ば強制的に着替えさせられた。
「ったく、服が絞れるほど雨に打たれやがって。後処理のこと考えろよバカ」
「別に、青峰くんには何も頼んでいないじゃない」
「後で自分でやる手間が省けたんだ。感謝しろ」
言われなくても感謝はしている。あのまま青峰が来てなかったら、はいつまでも立ちつくしていただろう。
今は青峰の部屋でテーブルを挟んで向かい合って座っている。青峰が淹れてくれたホットミルクが冷えた身体に心地いい。
「私ね、振られたの」
「へー。そうか」
「何その棒読み。もうちょっと言うことあるでしょ」
「別に報告してくれとか頼んでねぇし」
青峰は至極興味がなさそうにそっぽを向いている。それでもその横顔は話を拒否しているように見えなくて、はそのまま続けた。
「他に好きな子ができたんだって。私のこと……大事にしたいと思えないんだって」
最後の方は涙を堪えるあまり、震えてしまった。
「私より好きな子がいるなら、その子と一緒にいる方があいつにとって幸せならそれでもいいと思う。けど、何でかな。今まで一緒に過ごしてきた時間は何だったんだろうって。自分の存在価値を否定されたみたいでつらい」
話しているうちにまた涙が出てきた。消化する見通しの立たないこの想いはどうすればいいのだろう。青峰なら何とかしてくれるのだろうか。藁にもすがる思いでは青峰に感情をぶつけた。
「お前、何で振られたのかわかんねぇのか?」
ひとしきり感情をぶつけ終わったあと、青峰がポツリと呟いた。
「だからそれは、他に好きな人ができて私を大事に思えなくなったからだって言ってるじゃん」
「それは結果だ。どうしてそうなったのかわからないのかって訊いてんだ」
意味がわからない。結果以外に何があるというのだろうか。
は眉をひそめた。
「お前が自分のことを大事にしてねぇからだ。こんな土砂降りの中、傘も差さずにいたのがいい証拠だ。自分を大事にできないやつが人から大事にしてもらえるわけねぇだろ」
「……」
「それともうひとつ。誰かの犠牲の上に幸せなんてあり得ねぇ。お前、自分が犠牲になることであいつが幸せになるのならそれでもいいと思っているだろ」
「そんなことっ……」
「ないとは言い切れないだろ。さっき自分で言ってたじゃねーか。自分よりその子と一緒にいる方が幸せならそれでいいって。そういうすれ違いが募っての結果だろ」
何も言い返せなかった。全部図星だ。今までそんな風に考えたことなかったけど、言われてみて初めて気づく。たしかにそうだって思ってしまった。
「もっと、我が侭に生きろよ」
テーブルを挟んでいたはずの青峰は、いつの間にかのすぐ隣に来ていた。
「他人の幸せなんて考える必要ねーんだ。誰もが自分の幸せだけを考えていれば、みんなハッピーだ」
「青峰くんも自分の幸せだけを考えて生きているの?」
「当たり前だ。だが、まだ未完成だ」
どういうこと? と訊くよりも早く、青峰はの両肩を掴んでその先を続けた。
「オレの幸せ条件の中にはお前がいる。傷心しているところをつけ入るようで悪いが、オレはオレの幸せのために言わせてもらう。オレと付き合え」
そのまま青峰は我が身の方へぐっとを寄せた。
突然のことで驚きはしたけど、思ってたよりもずっとその腕の中は温かくて、突き放そうとは思えなかった。
「お前が好きだ」
幸せの必要条件
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青峰くんの家にあった女物の服はさつきちゃんのものです。青峰くんの家にはさつきちゃんの私物が転がっていそうなイメージがあります。
2014.08.06