春の京都。桜の花びらが舞い散る中、私は一人桜の木を見上げていた。
なぜこんなところに一人でいるのか。自分で決めて、自分でここに来たのに、私はこんなところでいったい何をやっているのだろうかと自分に問いかけたくなる。
義務教育を終え、高校も卒業、花の大学生活も無事に終わり、社会人になって数年が経つ。
最近は心に冷たい風が吹くことが多くなってきた。
大人は楽しいけど、辛いことも多い。子供の頃は無限だと思っていた時間は、有限なものなのだと気づいてしまった。
今更、こんなところに来たって……そんなことは百も承知している。
部屋の整理をしている時に出てきた中学校の卒業アルバム。開いて見てみると、当時の記憶が次々とよみがえってきた。その中の部活動のページで私の手は止まった。男子バスケットボール部。そっと指で撫でてみる。3年生だけでも数十人いる中、最前列センターで誰よりも強い存在感を放つ彼、赤司征十郎。
私は中学生の頃、その赤司くんとつき合っていた。幼いながらも必死に人を愛することを覚えようとしていた懐かしい日々。
告白をしたのは、私の方。赤司くんはどうして私とつき合ってくれたのかは正直わからなかった。
好きだという気持ちを抱えたまま、もやもやと過ごすくらいなら、いっそのこと告白して玉砕してしまった方がすっきりすると思った私は勢いだけで告白をした。周りで何人も玉砕している人がいるという話を聞いていたから、きっと私もそうなるだろうと思っていたのに、赤司くんから返ってきた返事は、「いいよ、つき合おうか」と、ひどくあっさりしたものだった。けれど、私を驚かせるには十分だった。呆気に取られて間抜けな顔をしてしまったのは、言うまでもない。
つき合い始めたのは中学1年生の時の秋。私も吹奏楽部に入っていたし、赤司くんは私以上に部活漬けな日々で、一緒に出かけたことはあまりない。ほとんどが学校帰りの制服デートだった。不満がないわけではなかったけど、それでも毎日が充実していたように思う。
そして、ある日、
「ねぇ、どうして赤司くんは私とつき合おうと思ってくれたの?」
「……質問の意味がわかりかねるんだが。それだとまるでオレが仕方なくとつき合っているみたいじゃないか」
「え、違うの?」
「違うさ。オレものことを好きだと思っていた。だからつき合っている。当たり前だろう」
たぶん、この時が初めて赤司くんから明確に好きだと言われた瞬間だと思う。それまでは、ただ何となくつき合ってもらっているだけだと思っていた。
あの時、私の気持ちが一方通行じゃないと初めてわかって、嬉しさと恥ずかしさで赤司くんのことをうまく見れなかったのを覚えている。
「じゃ、じゃあ……! これから先もずっと一緒にいてくれる? 来年も再来年も、その先も……」
「愚問な質問だね」
つき合い始めてから半年が過ぎた頃、2年生に上がって、新緑が芽生え初めてきた季節の帰り道のことだったと思う。
あの頃は何の疑いもなく、赤司くんの隣にいられる幸せが永遠に続くと信じていた。いつまでも同じままではいられないことを、あの頃の私はまだ知らなかったから。
そしてその時は思いの外、ずっと早くやってきた。
3年生に進級した頃から私と赤司くんは一緒にいることが少なくなっていった。幼い私はそれさえも普通だと思っていた。いや、普通どころか、たぶん何も感じていなかったんだと思う。大切なものを失うまで刻一刻と時が迫ってきていることを、少しも感じていなかった。
気づいた時には、もう時すでに遅し。
このままつき合おうとも別れようとも話さないまま、私たちは中学を卒業し、別々の道を進んでいった。
あの頃のケリをつけたいとか、あの頃の気持ちを引きずっているなんてことは微塵もない。
それでも嫌いになったわけでもなく、明確な別れがあったわけでもないから、今でも赤司くんを想う気持ちが少しだけあるんだ。
そうでなければ、今更、会いたいと思って、こんなところまで来たりはしない。連絡先は一応知っている。ただ、中学生の頃に交換したものだから、それが今も赤司くんに繋がるかどうかはわからない。そしてそれを試してみようと思ったことは、中学校卒業以来、一度もない。
仮に繋がったとしても、今更何を話せば良いのかわからないし、連絡先なんてあってないようなものだ。そして連絡先以外で私が知っている赤司くんの情報は、京都の高校に進学したということだけ。
高校を卒業してから、もう何年も経つ。今でも赤司くんが京都にいる確証なんてどこにもないのに、私の足は京都へ行くことを躊躇わなかった。
もし、また赤司くんと会うことができたのなら、私は赤司くんと何を話して何を約束するのだろう。あの頃のようにずっと一緒にいようなんて約束は、怖くてできそうにもない。
また風がひとつ吹いて、桜が舞った。少し強い風に目を細める。
周りにはここの桜を愛でに来たと思われる人がちらほらといるだけだ。京都に来るのは初めてではない。でも、桜の季節に来たのは初めてだ。
春の京都といえども、場所を選べば意外と人出の少ない穴場スポットがある。ここもそのひとつだ。
その時、何故なのだろう。たくさんある足音の中で、ひとつだけ私の耳が懐かしさを捉えた。振り返ると、アルバムの中にいた少年の面影を残す青年がいた。私が指先でそっとなぞった、アルバムの中の人……。
「赤司……くん?」
「やぁ、久しぶりだね」
私を私だと認めた彼の目元は、やわらかさを孕んだ。あの頃よりずっと優しく笑うようになった彼の姿は、私の心に桜色を灯した。
「ずっと京都にいたの?」
「いや、高校を卒業してすぐに東京に帰っていたよ。今日はたまたまここへ来たんだ」
「そうなんだ」
たまたまここへ来た……。
これは偶然なのだろうか。いや、赤司くんに偶然なんて似合わない。運命とも言えるのだろうけど、私は必然であって欲しいと思った。
「はどうしてここに?」
「私も、たまたま」
「そうか」
私はまた赤司くんと会えたら、何を話して何を約束するのだろう。
答えは簡単。
何も話さなくていいし、約束なんていらない。
今、ここで再会できたことが答えなんだ。
私と赤司くんは、一歩ずつ歩み寄り、その手を取り合った。
「よかったらお茶でもどうだい?」
「えぇ、よろこんで」
未だ降り止むことを知らない桜の花びらたちは、まるで私たちを祝福しているかのようだった。
桜色の季節にもう一度
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2014.07.12