高校に入学して事件が起きた。人生で初めて一目惚れというのをしてしまったのだ。……って言っても、まだそんなに生きてはいないのだけど。
でもあのお姿を見て惚れるなって言う方が、そもそも無理な話なんだ。きっと他にも同じように彼に一目惚れした人はいるはず。過去も今も、そしてこの先の未来でも、世の女の心を罪深くさらっていくのだろう。
彼の名は赤司征十郎。一目で育ちが良いのだろうというのがわかるくらい綺麗な肌と凛とした出で立ちで、京都にこんな人いたんだ……と最初は思った。ところがあちらやこちらから流れてきた噂によると、赤司は東京生まれの東京育ちらしい。
なぜ東京からわざわざ京都に? 何かの推薦で入ってきたのだろうか。
その答えはすぐにわかった。赤司はバスケの推薦を受けてこの学校に入学してきたのだ。どうやら赤司はバスケの世界では有名らしい。
さっそく家に帰ってパソコンで検索してみると、簡単に赤司に関する情報にヒットした。……キセキの世代。そんな異名を持っていたのか。しかも赤司は主将だったというのだから、相当な実力を持っているのはもはや間違いない。
きっと、バスケしている姿も驚くほどかっこいいのだろう。
まだ話をしたことがないどころか、歩いている以外の姿も見たことがないのに、勝手にそんな想像を繰り広げては理想で創り上げられた赤司に何度も顔を赤らめた。
何とか赤司とお近づきになりたい。一目惚れをしてから、まずは最初にごく自然な願望が生まれた。赤司とは残念すぎることにお互いの教室が最も遠いクラスに割り振られてしまっていた。
せめて隣のクラスであれば、合同授業で一緒になれたというのに。体育の時、こっそり男子の方を観察することもできただろうに。
初っ端からテンションの下がる仕打ちを受け、どう画策していこうかと思案している時のことだった。意外なところで赤司と話す機会が巡ってきた。なんと、赤司の方から話しかけてきたのだ。
「歩き方がとても綺麗だね。何かやっているのかい?」
あ、あそこに赤司くんがいるなぁ。赤司くんの前通るの緊張するなぁ。なんて思いながら、廊下を突き進み、赤司の前を通り過ぎようとした時にふいにそう話しかけられた。
あまりにも驚きすぎて、赤司の顔を見つめたまま固まってしまった。
赤司が自分を見ていてくれたことへの嬉しさと、赤司に見られていたんだという恥ずかしさ。一瞬の中で感情のせめぎ合いが起こり、結果、話しかけられたことに対する嬉しさの方が若干、勝った。
「に、日本舞踊をやってるの」
「そうか。どうりで……」
交わした言葉はたったそれだけ。それだけでも今まで嬉しいと感じたこと全てが霞んでしまうほどの幸せを感じて心が舞い上がった。
赤司は口元に笑みを浮かべて去っていく。その背中を見送りながら、は自分の心臓の音を聞いていた。
この胸の高鳴り……どうしてくれよう。もう紛れもなく、赤司が好きだと認める他なかった。
赤司は想像の遥か上をいくほどの超人だった。高校のバスケ部でも入部早々に主将となり、インターハイを制し、生徒会にも名を馳せるようになった。きっと近い将来、生徒会長になるのだろう。そして申し分ない成績……というか、試験という試験の全てでトップに君臨する頭脳の持ち主だった。
そんな赤司に憧れを抱くのは何もだけではない。いや、あんな男に大なり小なり憧れずにはいられない。きっと、数えきれないくらい告白とかされているんだろうなぁ。そう思うたびに、ちくりと胸が痛んだ。
彼女の一人や二人、いてもおかしくないだろうに、赤司には彼女がいないというのがこの学校のみんなの見解だった。もしかしたら東京にはいるのではないかとも思ったが、それでもわずかな望みではあった。
赤司とつき合いたい。だなんて、おこがましいにもほどがあるけれど、憧れだけで終わらせるのはもう難しいくらい赤司という人間が好きだった。
季節はめぐり、二年生に進級した。神のご加護を受けたは、赤司と同じクラスになった。しかもあろうことか、二人で学級委員に選出されるという最上級のオプション付きで。格段に赤司と関わる頻度が増えた。
隣の席に座って作業している時、より一層近くに感じる赤司の存在。やっぱり肌綺麗だなぁ。端正な顔立ちで、よく見ると筋肉もすごいなぁ。そんなよこしまな視線を密かに送りながらドキドキする日々。
「日舞はいつから?」
「え……」
不意打ちで質問が飛んできた。
“日舞”
普段からよく使っている言葉なのに、まさか赤司の口からその言葉が出るとは思わず、それが“日本舞踊”を差していると気づくのに時間がかかった。
でも、そんなことよりも、赤司がいつぞやかそういう会話をしたということを覚えてくれていたことに感動した。
「小学二年生の時から……。祖母が講師をやっていて、何となく始めたのがきっかけかな」
「今も何となく続けているのかい?」
「ううん。今は自分の意志で続けてる」
じっと横から見つめられてむず痒くなる。そういえば以前に比べて赤司は優しく笑うようになった気がする。
どうして? と訊いてみたいけど、そこまで踏み込んだことを訊けるほどの仲ではない。
もっと近づきたい気持ちがある反面、この一緒に学級委員というポジションに甘んじている自分がいることもまた事実だった。
いつまでもこうしていられるわけじゃないのに……。
二年生の夏に近づいてくると、いよいよ進路をどうするのかという選択が迫ってくる。はどの学部に進むかは大方決めてはいたが、志望校はまだ決めかねていた。ただ、京都から遠く離れるということは考えていなかった。
学級委員の集まりから教室に戻る時、隣を歩く赤司にさり気なく訊いてみた。
「赤司くんは進路どうするの?」
あとになって思う。どうしてこの時は赤司が遠く離れていくという考えを持っていなかったのか。
「志望校はまだ決めていないが、東京に帰るつもりだよ」
そう言われた時は、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
すっかり忘れていた。赤司はこっちの人間ではないということを。赤司には帰るという選択肢があるということを。
その後、自分がどんな表情でどんな反応をしたのかは思い出すことができない。ただ、赤司と一緒にいられる時間は有限なのだということだけは、しっかりと頭に叩き込まれた。そして、今過ごしている高校生活というのが、とても尊いものなのだと感じた。
同じクラスになって、一緒に仕事をするようになって、どんどん赤司の魅力に憑りつかれていく。
このまま憧れただけの恋で終わりにするのか? それだけは絶対に嫌だ。同じ後悔をするなら、何もできなかったと泣くよりも当たって砕けて泣きたい。
「さんは決めているのかい?」
「うん。たった今決めた。……私、東京の大学を受験する」
赤司は不思議そうな表情を浮かべての様子を窺った。
そりゃそうだよね。そういう反応をするよね。
―― あぁ神さま。どうか、一瞬だけでもいいから私に勇気をください。
意を決して、心の限りの笑顔を浮かべて、
「赤司くんと離れるのは嫌。赤司くんと一緒にいられるなら私も東京行く」
赤司くんは目を見開いたまま固まった。ものすごい音を立てて脈が打つのを聞きながら、珍しい表情を見れたことに少しだけ感動する。もう十分。これだけでおなかいっぱいだよ。ありがとう。一番最悪な後悔だけは免れたから……。
「急に変なこと言ってごめんね」そう謝ろうとした時だった。
「驚いた。まさかこのタイミングで言ってくるとは思っていなかったよ」
「……え?」
赤司は細く長い息を吐きながら居住まいをただすようにと向き合った。
「それはつまり、さんはオレのことが好きだと捉えていいのかな?」
想像していた展開と違って、イマイチ状況の処理が追いつかない。それ故に、すぐに赤司の質問に頷くことができなかった。
それでも賢い赤司のことだから、の表情とこの沈黙の間から正しい答えを簡単に導いてしまうのだろう。
「いいよ。つき合おうか。さんとはつき合ってみたいと思っていたんだ」
待って。そこまでは言っていないのに……!
目まぐるしく変わっていく展開に、ここが学校の廊下だということを忘れてしまいそうになる。
―― これは夢? 幻? 目の前にいる人は赤司くんの皮を被った別人?
「そんな……だって赤司くんは別に私のこと……」
「ずっと好きだったよ。奥ゆかしい所作に惹かれたんだ」
今すぐここで倒れても構わない。変に期待を持たせる夢であるなら、さっさと醒めて欲しい。
それでも目の前にいる赤司の微笑みと握られている手の温かさが、これは夢じゃないんだと教えてくれている。
ずっと好きだったのは私の方だ。そう伝えたいのに、うまく言葉が出てこない。
だって、そんな表情されたら誰だって声が出なくなるよ。これ以上ないほど優しく微笑まれてしまったら……。
私はあなたに何度も恋をしてしまう。
何度も
―――――――――――――――――――――――
黒バスの短編は、赤司くん、青峰くん、高尾くんと書いてきましたが、赤司くんだけ高校生設定で書いたことがないと最近気がつきました。
ヒロインは生粋の京都人間のつもりで書いてますが、言葉が京都弁になっていないことはご容赦ください。おこがましくて京都弁とか書けません……!
2016.08.29