エンジンをかけ、愛車を発進させたは立体駐車場の3階から地上に下り、オフィスビル正面の路肩に車を寄せた。
 助手席側のパワーウィンドウを下ろし、そこに佇む男性に声をかける。
「お待たせしました。乗ってください。赤司さん」
「すまないな。ありがとう」
 間もなくしてドアが開き、助手席に滑り込んできたのは、の上司である赤司征十郎da

「君が運転手を買って出てくれて助かったよ」
「礼には及びませんよ。私、車の運転好きですし」
 赤司がシートベルトをしっかり着用するのを見届けてから、はサイドブレーキを下ろし、クラッチを踏み込んでゆったりと走行する車の流れに加わっていった。
 この時の赤司はまだ知らなかった、車の運転が好き、というの言葉の意味を。
「珍しいな。女性がマニュアルのスポーツカーを乗っているのは」
「そうですね。よくいわれます」
 の愛車は赤いマツダのロードスターだった。
「好きなんですよね。スポーツカー独特の低い車体と直に伝わってくるようなエンジンの振動が。加えてこのロードスターはフォルムがどんぴしゃ私の好みで、すっかり惚れ込んでしまって」
「フォルム……」
 はうっとりしながらもギアをセカンドからサード、サードからトップへと確実に切り替えていく。切り替え時にほとんど揺れないことをかんがみると、の運転技術はたしかなものらしい、と赤司は思った。


 片側3車線の幹線道路をスイスイ進んでいく。本日の外出の目的はなんの捻りもないごくごくありふれた商談というやつだった。ただし、赤司が自ら赴くというのだから、それ相応のお客様なのだろう。
 本来は赤司が自前の車で自ら運転していく予定だったのだが、出勤してから車の調子を悪くしてしまったらしい。そこで誰か足になってくれないか、と朝礼の時に問われ、皆が尻込みをするなか名乗りを上げたのがだった。その際に車がちょっと派手であることは報告済みである。


 朝の混み合う時間帯を避けて出発している。そのため、大きな混雑には巻き込まれずに目的地へ着くことが予想されていた。しかし、アクシデントというものはどこにでも影をひそめているものである。
「あれ? おかしいな」
 まわりに同調して走っていると、次第に低速にせざるを得なくなってきた。ギアも致し方なくセカンドまで戻す。反対車線はスムーズに走っているのに、こちらばかり車間距離がどんどん縮まっていく。もはや嫌な予感しかしなかった。
さん、これは」
「事故渋滞みたいです」
 こればかりは予測不可能だ。どんなに事故率が低かったとしても、可能性がゼロということはあり得ないのだから。
 弓なりに続く道の先に視線をやれば、完全に停止している車の列が見える。そしてこの先、あの列にたどり着くまでに大きな交差点は存在しなかった。小さな路地はいくつかあるが、どれも一方通行で左折することはできない。右折においては中央分離帯があるためもはや不可能だった。
 赤いロードスターはなす術もなく、長く連なる車列の最後尾で停止した。


「すみません。ラジオつけますね」
 左手を伸ばし、つまみを捻るとノイズ混じりのラジオが流れ始める。ちょうどトラフィックインフォメーションをやっているところだった。それによるとこの渋滞は20キロほど続いているらしい。めったにない大渋滞だ。
「まずいな。このままだと抜け出す前に先方との約束の時間になってしまう」
 さて、どうしたものか。赤司がジャケットの袖をわずかにめくり、腕時計に視線を落としている姿を横目に捉えながら、は思考をめぐらせた。
 先ほどから申し訳程度に数メートルずつ進んではいるが、どう考えても歩いたほうが早いレベルだ。しかし、今から降りて電車なりに乗り換えたとしても約束の時間は過ぎてしまう。
 その時、ふと目にとまった。もう間もなくたどり着く曲がり角は、この一帯で唯一左折できる細い路地だ。
 はカーナビに手を伸ばして地図を確かめた。少々危険だが、やるしかない。
「赤司さん。しっかりつかまっていてください。少し飛ばします」
「飛ばす? この渋滞でどうやって」
 赤司がいい終わる前にはハンドルを素早く左に切った。
「おっと……さん。このあたりは一通だらけのはずではなかったかい?」
「安心してください。ここだけ反対方向の一通なんです」
 一通と一通が交差するような道が張りめぐらされているエリアだが、問題はない。カーナビは念のための確認で眺めるが、このあたりの地図はの頭の中にインプットされている。
 ここだ。
 はハンドルを右に切った。
 対向車がきたらギリギリすれ違えるかという路地をぎりぎり捕まらないであろう速度で走り抜ける。つまりは規定速度をわずかにはみ出ているということと同義なのだが、はお構いなしにアクセルを踏み込んでいった。ここを抜ければ片側2車線の道路に出られる。そこまで行けばなんとでもなる。
さん。少し飛ばしすぎではないかな」
「なにをおっしゃってるんですか。まだ序の口ですよ」
「序の口?」
「ここを抜けると少し大きい通りに出ます。そこからが本番なので、そのかばんを落とさないようにしっかり抱えていてくださいね」
 赤司が膝の上で抱えているかばんには小型のノートパソコンが入ってる。小型といえどハイスペックなノートパソコンなので、そんじょそこらのデスクトップのパソコンよりもずっと高価だ。いっそのこと足下に置いてもらったほうが安全なのだが、まぁそこらへんの判断は赤司に任せよう。


 そうこうしているうちに2車線道路に出た。そこで右折した瞬間、一気に加速する体勢に入る。
 この道は少し混むからあまり好きじゃないんだけど。
 そう内心で不平を漏らしながらも、は次々と変速していく。隣に座っている赤司がぎょっとしながらシフトレバーに固定されているの左手を見つめている。
 はフッと不適な笑みを浮かべてから、再度クラッチを踏み込み、ついにはシフトレバーをハイトップに入れた。
さん。この交通量で5速はまずいんじゃ」
「私を誰だと思っているんですか。大丈夫です。かわしながら走りますから」
「……」
 そこから赤司は生きた心地がしなかった。ただただ、低く唸るエンジン音と、右に左に揺られ、背中がシートに押しつけられる感覚だけがのちの記憶に鮮明に残った。
 ハイトップを基本とし、は器用にシフトチェンジを繰り返していく。車の間を縫うように走り抜けていく赤いロードスターは、どこぞやのアトラクションさながらだった。
 どこかの峠では妙な異名をつけられていそうだ。


 それからほどなくして目的地に到着した。約束の時間ぎりぎりではあったが、なんとか間に合った。
 商談も無事に成功というかたちで終え、二人は帰るために再び車に乗り込んだ。
「帰りは安全運転で頼むよ」
「え? 私はいつだって安全運転ですよ」
「……そうだね」
 は赤司のいっている意味がさっぱりわからないまま、エンジンをかけた。ブウォンと重低音が腹の底に響き、心地よい振動が伝わってくる。
さんのドライビングテクニックがすごいってことはよくわかったよ」
「ほんとですか! わぁ、うれしいです。やっぱり運転を褒められるのがいちばんうれしい」
 は赤司の一言で最高に気分がよくなった。次の週末には気合いを入れてこの車のメンテナンスをしようと思うくらいには気持ちが舞い上がっていた。
 どうも車のことになるとの頭のネジは吹っ飛ぶらしい。は赤司の言葉をそのまま受け取り、言葉の外で言わんとしていることをまったく理解していなかった。
 もちろん、赤司のため息などまるで聞こえていない。
「君は変わっているな。初めて知ったよ」
「そうですか?」
「ああ。今度は俺の運転する車に乗せてあげるよ」
「……え?」
 どうしてそういう話の流れになるのだろう。は首をかしげながら微笑む赤司の口許を見つめた。その瞬間、急に赤司を異性だと意識してしまったような気がした。
「えっと、あの」
「拒否権はないと思ってくれ」

駆け抜ける赤。その名は、



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『2018赤たん その@』です。ごめんなさい。めちゃくちゃ遊びました。でも書いていてとても楽しかったです。
昨年、一昨年と比べると赤たん企画の縮小っぷりが目に余ります。愛が消えたわけではありません。今年は本当に尋常じゃないほど忙しくて…。もろもろの言い訳は日記のほうでしたいと思います。
いつか赤司くんを助手席に乗せる話を書いてみたいとはずっと思っていました。加えてここ最近のDCフィーバーが相まって、こんなかたちに。タイトルの『駆け抜ける赤。その名は、』に続くのは、もちろん異名です。異名はご想像にお任せします!(ただ考えていないだけ)
なんだか書いていたらだんだん久しぶりにマニュアル車を運転してみたくなってしまいました。しかし、やりません。ええ。だって、エンペラーアイを使わなくてもはっきり見えるんだもの。エンストして後続車に迷惑をかける未来が。
2018.12.24