「もしかして、会うのって半年ぶりくらい?」
「そうだね。それくらい経つかもね」
 はグラスの中でゆっくりと融けていく氷を見つめながら、ソファの背もたれに背中を預けた。
 正方形のテーブルにコの字を描くように一人掛けのソファが配置されている。その対角になる位置にと赤司は座り、差しで飲んでいた。
 ここは隠れ家的なバーで各フロアは小ぢんまりとしているが、三階建ての建物であるため、それなりの客数は入る。たちは二階の端のテーブルに着いていた。
 今日は金曜の夜だというのに、このフロアに他の客はおらず、実質貸し切りのような状態だった。
「もうそんなに経つのか。時の流れが早すぎて、やんなるわ〜。赤司くん、いっつも忙しそうにしてるんだもん」
「この半年ほど忙しかったのはのほうだろう。俺はいつもと変わらないよ」
「たしかに」
 はしかめっ面をしながら背もたれから身体を起こし、グラスを取って一口仰いだ。氷の融け具合が絶妙で、ちょうど好みのウィスキーに仕上がっていた。釣られるように赤司もグラスに手を伸ばした。
「やっと大きなプロジェクトが一つ、一段落ついたところなんだ」
「そうか。がんばったね」
「えへへ、赤司くんに褒めてもらえると嬉しいな。もっと褒めて褒めて」
 頭を撫でて欲しいとばかりに赤司のほうに身体を傾けると、「もう酔ったのかい」と額を小突かれた。赤司が飲んでいるのもと同じウィスキーのロックのはずなのに、赤司の顔色はお店に入った時から少しも変わっていない。は「酔ってないもん」と抗議しながらも、この数ヶ月で蓄積された疲労のせいでいつもより酔いが回るのが早いことを自覚していた。

 赤司は中学の時の同級生だ。よって、二人で会う時は中学の頃の思い出話や共通の知人の話題になることが多い。
「そーいえばさ、三年生の時に同じクラスだった奈穂ちゃん、離婚したんだって」
「へぇ。入籍する前は仲睦まじく見えたんだがな」
 ほんと、人生ってなにがあるかわかったもんじゃない。それこそ中学の同級生で中学時代からつき合っていた二人だったので、結婚するという知らせが入った時はそりゃそうだよねと思ったのに、それがまさかの離婚ときたものだ。あんなに仲良かったはずなのに、やはりつき合っていると結婚するというのは天と地ほどの差があるのだろうか。
 それでも、は羨ましいと思ってしまった。離婚なんて決して喜ばしい報せでもないのに、だ。こちとら離婚どころか結婚もしておらず、つき合っている恋人もいない。くすぶっている間に様々な経験を積んでいく同級生が、いまのには眩しくて仕方なかった。
 そんなことばかり考えていたせいか、は無意識のうちに無表情になっていた。
「どうかした?」
 赤司がこちらを凝視していたことでそのことに気づき、は慌てて取り繕うような笑顔を浮かべる。
「いや、難しい顔をしているなと思っただけだよ」
「うん……ちょっと、考え事が頭をよぎってね」
 なんとなくだが、空気が重たくなったような気がした。自分で振り出した話題のくせして、この先どう話を盛り上げていけばいいのかはわからなくなってしまったのだ。しかし、ここで救世主が降臨し、赤司の携帯電話が鳴り出した。赤司はジャケットのポケットから携帯を取り出し、画面を見つめながら出るか出まいか考えているようだった。
「出たほうがいいんじゃない? 仕事の電話でしょ」
「ああ」
「わざわざ携帯にかけてくるってことは、それなりな急用だと思うんだけど」
 そう言うと、赤司は仕方なさげにソファから腰を上げた。
「すまない。少し席を外させてもらうよ」
「どうぞ。お気になさらず」
 赤司は携帯だけを持ったまま階段を下りていった。お店の外へ出て話すつもりなのだろう。は場を取り直す間ができて、ほっと胸を撫で下ろした。

 それにしても、今日は本当に酔いが回るのが早い。まだグラスの半分ほどしか飲んでいないというのに、すでに頭がボーっとしている。それに呼応するかのように睡魔も激しい。
 ほんの少しだけ、のつもりではテーブルに両腕を置いてその上に頭を載せた。
(早く赤司くん、戻ってこないかな……)
 いなくなった時はほっとしたくせに、今度は早く戻ってきて欲しいと思ってる。なんて自己中で身勝手なんだろう。
 の瞼は次第に下がり、やがては意識も閉ざされた。

 それからどれくらいの時間が経っただろう。長いように感じられて、ほんの数分だったのかもしれない。が意識を取り戻したのは、いつの間にか戻ってきていた赤司がグラスを傾ける音を聞いた時だった。グラスと氷がぶつかり合う独特の音で、はっと気がついた。
(やばい。眠っていた)
 は慌てて身体を起こそうとした。が、それよりも先に何かが頬に触れた感覚が走り、身体が硬直した。
 頬に触れたというよりは、頬にかかっていた髪を耳にかける指が当たったのだ。
 誰の指が? 赤司の指だ。このフロアにはと赤司しかいない。の両手は未だテーブルの上で自分の頬を触れる態勢ではない。邪魔なものがなくなった頬に、今度は手のひらが添えられる。こうして触れられると、無骨とまではいかなくても、赤司の手はやっぱりちゃんとした男性のものなのだなと思わされる。
「起きているね?」
 はゆっくりと瞼を上げた。
「眠っていたのは本当だよ……ほんの少しだけだけど」
 見下ろしてくる赤司の瞳が、優しい。は身体を起こそうとした。ところが、頬に添えられている赤司の手にわずかに力がこもり、制された。屈んでくる赤司を見ながら、の心臓はドクンと激しく脈を打った。
、いいよね」
「な、んで」
「そこは、なにが、じゃないんだね」
 それは赤司が言外に含ませていた問いかけがなにかわかってしまっていたからだ。
「雰囲気に流されていることは認めるが、勢いだけではない。君が好きだからだよ」
 赤司は気づいているのだろうか。それともわざとなのだろうか。先ほどから主語が抜けている。
 覆いかぶさるように近づいてきた赤司の唇がの唇を掠める。角度に不満があったのか、赤司は強引にの顔を上に向かせてもう一度口づけを落としてきた。としてはかなりしんどい態勢だ。
「お願い赤司くん、せめて身体を起こさせて」
「ああ、すまない。つい夢中になってしまった」
 赤司に腕を引かれてはようやく身体を起こすことができた。深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。その間も赤司は妖艶な瞳のままで、はなにをどう伝えればいいのか、一瞬、怯んでしまった。
 ずっと、内に秘めていた思いはある。だけど、それを伝えた瞬間、ずっと甘えてきたこの曖昧な関係は崩れるだろう。

 いつまでも煮え切らないに、赤司は痺れを切らしたらしい。
「もう、いままでのような関係ではいられないよ」
「どうして?」
「俺はもう、君に好きだと伝えてしまったからね」
 は下唇を噛んだ。たしかにその通りなのだ。前に進むか、ここで切り捨てるか。残された道はその二択のみなのだ。
 それならば……
 は大きく息を吸って呼吸を整えた。
「私はいままでのような関係もけっこう好きで楽しんでいたんだけどなぁ」
 切り捨てる、という選択肢はあり得ない。そもそも恋慕の情がなければこんな関係を好き好んで続けているわけがないのだから。
「私の楽しみを奪った分、ちゃんと責任を取ってくれるよね?」
 唇を突き出していじらしくそう言うと、赤司は受けて立ったと言わんばかりの不適な笑みを浮かべた。
 ああ、やばいな、と頭の中で警鐘が鳴るのと、「もちろんさ」という赤司の声が重なった。赤司は座っているのすぐそばに立ち、の背中に左手を、後頭部に右手を回すと強引に上を向かせて本日三度目の口づけを落とした。前の二度とは比べ物にならないくらいの深い口づけだ。
 その甘美な世界に溺れそうになりながらも、赤司はここがいつ他の来客があってもおかしくないお店だということを忘れていないだろうかとは心配になった。

曖昧を超えて



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2020年の赤たんで更新しようと思っていたお話第一弾です。赤司くんの誕生日から早一ヶ月……。もたもたしている間に時が流れすぎてしまったので、普通に更新することにしました。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
2021.01.19