※注意※
半分見切り発車で始めた長編になる予定のお話です。
後ほど専用のトップページなどをつくるつもりです(最近、あまりにも更新が滞っていたので、取り急ぎ)。
見切り発車ですが、結末はもう決めてあります。万人受けしない結末になると思いますので、まずいかも、と感じた方は自己防衛をお願いします。
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僕が彼女と出逢ったのは、小学生の時だった。それはちょうど僕がバスケの魅力に憑りつかれた頃で、公園で僕がボールを突くところを彼女はベンチで本を読みながら眺めていた。
ボールを突くのは僕一人だったり、荻原くんが加わって二人だったり。時折、彼女自身が混じることもあった。
本を読むのが大好きなくせに天真爛漫。自由奔放。仕掛けたいたずらが成功した時みたいに笑う顔が活発な印象を与え、そんな彼女が僕も荻原くんも大好きだった。
それが僕の人生に多大な影響を及ぼす少女、。
僕たちは順調に年を重ね、小学校を卒業する時がきた。
もともと彼女とは違う小学校だったが、中学校も同じにはならなかった。僕がバスケをするために私立中学へ進学を選んだからだ。
一方、荻原くんは彼女と同じ中学になった。私立への進学は自分で選んだこととはいえ、荻原くんが羨ましくなかったといえば嘘になる。すごく羨ましかった。
中学生になってから、彼女と顔を合わせたのは一度だけだった。夏休みに偶然ばったり会い、お互いの近況報告をした。
本当はすぐにでも連絡したいと思っていた。だけど、この時の僕は進学先の強豪チームの壁に圧倒され、身体が気持ちに追いつかないジレンマと戦っている最中で、彼女に連絡しよう、という明るい気分には到底なれなかったのだ。
だから偶然ばったり会ったのは嬉しくもあり、気まずくもあった。どうやって今のこの状況を悟られないようにうまく話そうかと頭を抱えたものだ。
あとになって思えば、彼女にはすべてお見通しだったのかもしれない。
そして、これを最後に、ぱったりと彼女には会わなくなった。
荻原くんの話によると、転校したらしい。彼も彼女とは違うクラスだったために詳しいことはわからないというが、奇妙なことに誰に訊いても彼女の転校の理由や行き先はわからないという。
なぜ。どうして。彼女との関係はこんなに希薄なものだったのか。
そんなふうに最初は落ち込みもした。
だが、いつしかそんな気持ちも薄れ、日常のなかに埋もれていき、目の前に広がる世界を生きるのに必死になっていた。
とはいえ、完全に忘れることもできず、時折、彼女のことは思い出していた。公園でベンチを見かけたり、本屋で彼女が読んでいた本を見つけたりした時に。
今、彼女はどうしているのだろうか。
元気にはしているだろうか。きっと元気にしているに違いない。
だってあの天真爛漫、自由奔放な彼女だ。元気でないはずがない。
さらに年を重ねて高校二年生の夏。
僕は彼女と再会した。
※
「久しぶりだね。黒子くん」
「さん……ですか」
「他に誰に見える?」
夏休みを迎え、うだるような暑い日のこと、道ばたでばったり会った。足はついてるから、幽霊ではないようだ。
「さんにしか見えませんが……、あの、ちょっと、びっくりしています」
再会は願っていた。だけど、まさかこんなかたちで……、こんな偶然出くわすというシチュエーションはこれっぽっちも想像していなかったわけで、僕はたいそう驚いてしまった。
「変わらないね。黒子くん。安心した」
相対するさんは一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「変わらない、ですか。そうですか。これでもけっこう身長は伸びたんですけど」
「うん。そうだね。大きくなったね。……私のほうが大きいくらいだったのに、いつの間にか超されちゃったみたいだね」
ついには簡単に触れられる距離まで近づき、さんは手を頭の上でサンバイザーのようにかざして僕との身長の差を確かめていた。
身長の他にも、もっとこう、いろいろあるだろう。例えば大人っぽくなったとか、逞しくなったとか。仮にも僕は思春期の男なわけであって、男としての魅力を褒めてほしいのが本望。だけどそんな本音はさんに微塵も伝わる様子がなくて、気づけば仕返しとばかりに僕は思ってもないことを口にしていた。
「そういうさんこそ、変わっていなくて安心しましたよ」
すると、さんは下から覗き込むように僕を睨みつけ、たちまち頬を膨らませた。
「高校生になった女の子に向かってそういうこという? もっというべきことがあるんじゃないの?」
「さぁ。僕にはわかりません」
「……まぁ、いいわ」
さんは膨れっ面のまま両手を腰に当てて、僕と真っ直ぐ向かい合った。
さんは変わっていない。大いに嘘だった。会わなかった数年間は確実に彼女を変貌させている。迷わず彼女を彼女として認識できたのは、もちろん、今の彼女に過去の彼女の面影が残っていたからだ。ことある事に口許に手を添える仕草も、彼女を彼女と証明する癖のひとつだった。だけど、肩の少し下まで伸びてさらさらと風になびく髪も、スカートから細く長く伸びる白い足も、僕は知らない。
やがてさんは一変して、ぷりぷりした表情からふわっとやわらかい笑みを零した。
「黒子くんはこれから部活なの?」
「はい。今日は午後からの練習なんです」
「そう」
僕の出で立ちは制服にエナメルバッグを肩から下げているというものだった。一方のさんはクリーム色の半袖カーディガンに白の膝丈スカートで、手には膨らんだトートバッグを下げている。
「相変わらず、バスケに熱心なんだね。安心した」
「そういうさんはこれから図書館ですか」
「よくわかったね。すごい」
トートバッグの中身は、これから返却する本なのだろう。
「さんも相変わらず本がお好きなんですね」
「うん。外も好きだけど最近の夏は暑くて堪んないだもの。こういう日はほど良く空調の効いた図書館で本を読むのがいちばんでしょ」
そういって見せてくれたトートバッグの中には、単行本が二冊入っていた。どちらも数年前にベストセラーになった長編小説だ。
「ところで黒子くん」
「はい。なんですか」
「のんびりしているようだけど、時間はいいの?」
はっとして腕時計に視線を落とした。まずい。ちょっと急ぎ足にならないと仲間たちからどやされてしまいそうな時間だ。
「よくありませんね。すみませんが、もう行きます」
「うん。がんばってね」
「ありがとうございます。ではまた」
僕はエナメルバッグをかけ直し、あいさつそこそこに駆け出した。これじゃ部活始まる前に汗だくになってしまいそうだ。内心で苦笑しながらも、僕はどこかわくわくしていた。
答えは言わずもがな。さんに会えたからだ。彼女が突然、僕の前に現れた意味も、これから待ち受けている試練も知る由なく、ただひたすら、心が浮ついていた。
※
僕は今、絶望の淵に立たされたいた。
さっきは時間の制限でさんと大して話すことができなかった。でもいい。今度会った時に話せばいいのだから。話したいことはたくさんあるし、訊きたいことも山ほどあった。
次はいつくるだろう。いや、いつにしようか。さんの都合も訊いてみないとわからないよな……。そこまで考えて、はたと気がついた。
さんの連絡先、知らない。
雲の上から奈落の底まで落とされたような気分だった。
そもそも連絡先を知っていたら、こんなふうに再会を喜ぶことはなかったのだ。浮かれすぎた結果、せっかくつかんだ糸を自ら切らしてしまった。
「……こ、……黒子」
なにかが聞こえる。そういえばボールを突く音とスキール音も。
「黒子っ……!」
次の瞬間、バチン、と弾けるような音が鼓膜を突いた。追ってやってくる鈍い痛み。
「なにモサッとしてんだよ。お前」
「すみません。ぼーっとしてました」
ぼんやりした産物は顔面にボールがクリーンヒットだった。顔面といえど、頬に受けたのは不幸中の幸いだった。正面だったら確実に鼻血を出していただろう。
ビブスを身につけた火神くんと降旗くんが、一旦中断した試合のコートから近づいてくる。
「うわ、それ大丈夫か。真っ赤だぞ」
「痛いです」
「それよりお前、記録はちゃんと取ってあるんだろうな」
「……あっ」
僕は自分の手の中にあるクリップボードを見て唖然とした。正の字の棒が数本並んでいるだけで、その先はまっさらだった。
「やらかしました」
「やらかしました、じゃねーよ。ったくお前ってやつは」
もはやこの試合で記録を取ることは無意味だった。僕はいまだガミガミいっている火神くんをよそに、クリップボードを適当に近場のパイプ椅子の上に置いた。あとでカントクにどやされるんだろうなと思いながら。
図書館の開館時間は何時までだっただろうか。どこかで見た数字はたしか夜の七時だったような気がする。そして部活の練習が終わるのも夜の七時。
僕は体育館の壁時計を見上げた。
夜の七時まで、あと約三時間。
※
部活の練習後、図書館へ向かったのは賭けだった。さんが閉館時間までいる保証なんてどこにもないし、いたとしてもすれ違う可能性のほうが格段に高かった。
それでも、そのわずかな可能性にすがりたくなるほど、僕はさんともう一度会いたいと、そしてこの先もその縁を絶やさないようにしたいと渇望していた。
住宅街の中に突如として現れる総合公園の一角に、その図書館はあった。まばらに館内から出てくるのは、ここの職員のようだった。足早に公園を抜けていく人たちを見て、僕は自嘲の笑みを零した。
そりゃそうだ。都合よく玄関の前にさんがいるはずない。わかっていたはずなのに落胆してしまう。
夜の帳が下りても暑さは消えず、むしろ昼よりもむし暑さが増したようにさえ感じた。
できれば今すぐ熱いシャワーを浴びたい。踵を返して家に帰るのは簡単だ。でも、せっかくここまで来たのだから、もう少し足掻きたい。僕は公園内を一周してみることにした。
ここの公園は散歩できるように舗装された小道がくねくねと続いていた。ちょっと茂みの中に入ったかと思うと突然視界が開け、脇にテニスコートや野球のマウンドが現れる。ところどころに外灯が立ち、その下にはベンチが設置されていた。
今日みたいに暑い日はさっさと家に帰ってクーラーに当たるのが賢明だ。そういわんばかりに今夜は人が少ない。そんな中、煌々と自動販売機が光放つそばのベンチに誰かが座っているのが見えた。
僕は思わず足を止めた。
ああ、こんな奇跡、あってもいいのだろうか、と。
そこに座っていたのは、紛れもなくさんだった。
「あ、黒子くん。お疲れさま」
僕が目を見張って立ち尽くしているのに気がついたさんは、とたんに表情をやわらげた。手にはカルピスウォーターの缶が握られている。
さんは僕が現れることを予見していたようで、僕を見ても少しも驚く様子をみせなかった。それを証拠にさんの座るベンチには、水滴をまとったスポーツドリンクの缶が置かれている。
「これ、黒子くんのだよ。突っ立ってないで座ったら?」
「……はい」
促されるままに、僕はさんの隣に座った。
「僕が来るとわかっていたんですか」
「うん。黒子くんならきっと来ると思ってた」
「もし僕が来なかったら、この缶はどうするつもりだったんです?」
「あとで自分で飲むつもりだったよ。別に嫌いじゃないし。スポーツドリンク」
そういってさんはぐびっとカルピスウォーターを一気にあおった。
僕もプルタブを捻ってスポーツドリンクで喉を潤す。
「暑いね」
「暑いですね。とても。今にも溶けてしまいそうなくらいに」
詩的だね、とさんは笑って空を見上げた。僕も釣られて顔を上げる。そびえ立つ木々の間から見える東京の空は、相変わらず星が少なかった。
ふと、小学校の林間学校でさそり座を見たことを思い出した。私は、僕は、ここにいるんだ、と激しく主張するかのように輝く赤い星。よく覚えている。さそり座を見たのは後にも先にもあの夜だけで、残念ながらこの大都会で確認できるのは、せいぜい夏の大三角くらいだろう。
「連絡先を教えてください」
「え?」
「そのために僕はさんを探しに来たんです」
僕が来ることをわかっていたさんは、僕の用件だってお見通しだったはずだ。
「また、会ってくれますよね?」
それなのにさんは少しの躊躇いを見せた。表情を消してじっと僕の瞳を見つめてくる。
外灯と自動販売機の光で照らされるだけでは、さんが今なにを考えているのかまったく読めなかった。
「いいよ」
だけどやがて、さんはぽつりとつぶやいた。そしてトートバッグの中から携帯電話を取り出す。普段は首から下げているのか、携帯電話には長いストラップが括りつけられていた。
「いっぱい連絡を取り合いましょう。行きたいところがあったらいってください。一緒に行きましょう。やりたいことも、一緒にやりましょう」
「うん。そうだね」
赤外線通信でお互いのプロフィールを送り合う。『』。アドレス帳に登録しますか? 電子的な問いかけに僕は『はい』を選択した。
「ねぇ、黒子くん」
「なんですか」
「……ありがとう」
それはなにに対する感謝なのか、わからなかった。わからなかったけど、僕は深く考えもせず答えた。
「僕のほうこそ」
帰宅してご飯を食べ、お風呂も済ませたあと、さっそくさんにメールを送ろうと僕は携帯電話を手に取った。メールの着信を告げるランプが光っている。開いてみてびっくりした。なんと、さんのほうから先にメールが来ていたのだ。
そこにはたった一言だけ記されていた。
『海に行きたい』
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2018.11.04