11:どうして私を選んだの

 



 ザーザーという音が耳障りな放課後。その日は学校側の都合で部活ができないため、生徒玄関はいつもより人で溢れていた。
 梅雨の季節まではまだほど遠いというのに、例年よりも気温が高い今年の春は、雨に降られると一気に湿度が上がって蒸し暑さが増す。何人かの生徒は、朝はまとっていたであろうコートを今は腕に引っかけていた。

「うわ、けっこうひどく降ってますね」
「そうね。でも、桜に雨もなかなか素敵じゃない」
「えー、そうですか? だってこれ、花散らしの雨ですよ」

 教室を抜けてと玄関へ向かう途中、実渕とばったり出くわした。そのまま成り行きで一緒に玄関まで行き、靴を履き替える。と実渕は屋内と屋外のちょうど境界線のあたりで並んで降りしきる雨を眺めていた。
 ああ、まただ。と赤司は思う。

 と実渕が一緒にいるところを見ていると、いつも心が穏やかではなくなる。広く定義すれば仲が良い。それ自体は悪いことではない。ただ、二人は仲が良すぎるのだ。学年も違うというのに、男女の友人としては距離が近すぎる。傘を開くタイミングまで二人同じで、これが嫉妬という簡単な感情で済ませられるのなら、どんなに楽だろうと思う。

「何も桜は花だけじゃないでしょ。私は葉桜も好きよ」
「ええっ、花の散った桜の木なんて、毛虫の温床じゃないですか」
「ちょ、ちゃん! 何てことを!」

 はげらげらと笑った。決して赤司の前では見せることのないその姿に、また一つ、嫌なものが蓄積されていく。何となく二人のそばに行くのが嫌で、後ろから様子を眺めていた。しかし、実渕ももこちらの気などお構いなしに事をどんどんと先へ進めていく。

「あら、征ちゃん。いつまでそこにいるつもり?」
「そうだよ、赤司くん。行こ」
「ああ」

 赤司も傘を開いて三人で歩き出しても、やはりと実渕は並んだままで、赤司のポジションはは一歩後ろ。傘を開いている分、今日はいつもよりお互いの距離が空いてしまっているのがわずかな救いだろうか。それでも思う。誰よりもの隣を歩く権利を持っているのは自分のはずなのに、なぜ後ろ姿しか見えないのだろう、と。

「そうそう。ちゃん、知ってる?」
「え、何をですか?」
「今年の桜はもうお終いだけど、再来週末につつじまつりがあるのよ」
「へぇ、そうなんですか。いいなぁ」

 水たまりの上には散ったばかりの花びらが無数に浮いている。抗うことのできない世の無常を表しているようで、思わず己の心を重ね合わせてしまう。

「再来週の土曜日は午前中しか練習がない予定だし、ちょうどいいんじゃないかしら?」
「そうですね。私、いつかちゃんとしたカメラ買って、花の写真をたくさん撮りに行くのがちょっとした野望なんです」

 弾んでいるであろう会話は雨音にかき消されてよく聞こえなかった。もとより聞きたくないのだから、これはこれでちょうどいいのかもしれない。
 これが嫉妬という感情だけだったのなら、まだいい。そう思えないのは、嫉妬よりも不安の感情の方が圧倒的に大きかったからだ。

 実渕を見上げると、を見下ろす実渕。間にいる赤司という枷がなければ、お互いは手を取り合っていたのではないだろうか。いつからかはわからない。気がついたらそんなくだらないことを考えるようになっていた。

 やがて、実渕と別れる交差点にたどり着く。と実渕は手を振り合って別れを告げ、赤司はようやくの隣を歩けるようになった。
 雨音が強くなったように感じたのは、会話が途切れてなくなったからだ。そもそも赤司は会話に参加などしていなかったのだから、赤司にとっては何も変わらない。

「ね、赤司くん。そういうわけで、再来週、一緒に行こう。つつじまつり」

 このまま会話がないまま今日も別れるのだろうと思っていた矢先、が口を開いた。それは思いのほか明るい口調で、赤司は少し驚く。

「ん? 実渕と行くんじゃないのか?」
「え、どうしてそうなるの?」

 は不思議そうな顔をして首を傾げた。

「なぜって、先ほどの会話でそう話して、」

 そこまで言いかけて言葉を呑み込んだ。勝手にそう思い込んでいたが、よく考えてみたら、雨の音と己の思考のせいで、二人が実際にどんな会話をしていたのか把握していなかった。
 はぁ、とは小さなため息を零す。

「赤司くん。私が二人きりで一緒に出かけたいと思うのは、赤司くんだけだよ」

 それこそ雨音にかき消されてしまうのではないかというほどかすかな声が、赤司の耳にしっかりと届いた。それでも都合の良いようにの言葉を解釈してしまったのではないかと思い、もう一度言うようにお願いしようとしたが、の様子を見てすぐにやめた。真一文字に口を結び、目を泳がせるのは、が照れている時の仕草だ。
 赤司にとっては、それだけで十分だった。

「いや、すまない。そうだね。一緒に行こうか。つつじまつり」

 人を好きになると湧き上がってくる嫉妬や不安といったマイナスの感情。決して気持ちの良いものではないが、それらを上回る感情があることも確かだった。それを味わえるのなら、もう少し、このマイナスな感情とつき合ってみるのも悪くないのかもしれない。