01:続けていくことの難しさ

 



 春の京都。早朝の哲学の道。
 春に限らず京都といえば、万年、観光客でにぎわい、人でごった返しているイメージが強いが、時間を外せば案外静かなものである。それは有名な場所でも然り。
 桜などどれも同じ。どこで咲いていようと桜は桜。と言ってしまえばそれまでだが、人気スポットに挙がる名所は、やはり、それなりの理由があるのだろう。見事なまでの桜のトンネルは、素直に美しいと思う。
 そんな中、赤司は隣にを伴って歩いていた。

 桜の季節だね。一緒に見に行こうか。ふとした会話の中、が行きたいと挙げたのが、この哲学の道だった。地元民は有名なスポットほど興味がないのものだと赤司は思い込んでいたのだが、曰く、「私は京都府生まれではあるけれど、出身は市外だから、市内にはそこまで地元意識持ってないよ」らしい。そういうものなのだろうか。正直、よくわからない。よくわからないが、来てみて良かったとは思っていた。

 時折吹く風によって、はらはらと花びらが舞う。水面に落ちたものは、川に身を委ねて流れていく。これらを見て、肌で感じて、心が洗われないことの方がおかしい。

は京都市内や大阪を中心に就活をしていると言っていたよね?」

 だから赤司はそんな質問が口から飛び出した。

「うん。絶対ここって決めているわけじゃないけど、あえて遠くまで行く必要はないと思ってる」

 唐突な切り出しにきょとんとしたは、素直に答えを述べた。

「順調?」
「そこそこ。面接にもだいぶ慣れてきたかな」

 早朝の哲学の道は、どちらかといえば地元民の憩いの時間帯のようだ。それを証拠に、先ほどから犬の散歩をしている人やベンチに腰を下ろして本を開いている人をちらほら見かける。
 また花びらが舞う。予測不能な軌道を描きながら水面に落ち、静かに波紋を広げる。
 人生のタイムリミットというやつは、いつも音を立てずに迫りくるものだ。気がつけば、すぐ背後にいて、執拗に急げとせかしてくる。

「一ヶ月ほど前に、父から連絡があったんだ」
「連絡? どんな?」

 一ヶ月前、と前置きをつけたのは、それだけ言葉にすることをためらったからだ。
 それを察したは、不安という色を瞳に織り交ぜながら、赤司を見上げた。

「大学を卒業したら、東京に戻ってこい、と」

 とのつき合いは高校から続いている。進学した大学こそ違えど、同じ市内。毎日顔を合わせることはできなくなってしまったが、それでも大きな障害なくつき合ってこれた。
 そしてこの春からは四回生。人生の分岐点がもうすぐそこまで来ているのだ。
 気がつけば、二人の足は止まっていた。
 は、「ああ」と声を出したきり、先ほどから何も喋らない。
 大学、卒業、東京、戻る。そこには辞書を引いてもわかり得ない意味がたくさん含まれている。そういう間合いを読むのが上手なは、きっと、赤司の言葉を咀嚼して飲み込んでいるのだろう。

「まぁ、予想の範囲内かな。急に就活の話を始めるからおかしいとは思ったんだ」

 しばらくすると、は細い息をゆっくりと吐き出し、口を開いた。

「でも、赤司くんらしくないね。はっきり言わないだなんて」

 そして挑戦的に見上げてきた。その目は「どっち?」と訊いてきている。この先に待っているのは別れなのか継続なのか、と。

 生涯をかけて、一人の人を愛し続けるのは難しいのだろう。事実、に対して腹を立てることもあれば、なぜわかってくれないのかと罵りたくなることもある。
 それでも、一周まわって帰ってくるのは、決まっての隣だった。
 一番好きな人とは一緒にならない方が幸せだ。どこかでそんなことを聞いたことがある。それもたしかに一つの幸せなのだろう。自由にその人のことを想い続けることができるのだから。
 だが、それは結果論にしかすぎない。実際のところは命が終わる瞬間までわからないではないか。

 世の中には気持ちだけではどうにもならないことで溢れている。そんなことはとうの昔から知っている。理を優先して情を切り捨てることを幾度となく繰り返してきたが、今回ばかりは我がままをつき通したいと思った。

「俺についてきて欲しい」

 静かにそう告げると、はまんまるに瞳を開いて固まった。
 木々のざわめきや、風に逆らえずに転がる小石。川のせせらぎ、遠くから聞こえる老夫婦のかすかな笑い声。二人の間を花びらが舞っていく。
 強烈に五感を刺激してくるこの世界は、今という瞬間を心に深く深く刻むための演出なのではないかと思うほど、二人をあたたかく包み込んでいた。
 固まったままのは次第に表情をほぐし、わずかに微笑む。

「うん。いいよ」

 そしてまばたきを数回。

「本当はその言葉をずっと待っていたんだ」

 今度は赤司が驚く番だった。
 は歩くのを再開して、一人でさっさ先に行ってしまう。
 桜のトンネルにの後ろ姿。この光景も今年で見納めか。などと感慨深げに見つめながら、の背中を追いかける。いつまでも眺めていたいが、後ろ姿しか見れないというのは些か気に入らない。いつもより大股で歩を進めての隣に並ぶ。うん。やはりこの位置が良い。をほど良く見下ろせるこの位置が。