09:疑惑と勘違いのオンパレード

 



 黒板の右上に書かれている日付を見て、もうすぐの誕生日だということを思い出した。
 我が帝光中バスケ部のマネージャーとして、日々、全力でサポートしてくれているに、赤司は多大なる好感を抱いていた。一年に一度だけ訪れるその人だけの特別な日。それを祝わずにしていったいにどんな感謝の言葉を述べれば良いのだろう。もちろん、赤司はその日を盛大に祝うつもりでいた。

 おめでとうという言葉をかけるのは大前提として、そこはやはりプレゼントも贈りたいもの。はいったい、何を望み、何を欲しがっているのだろうか。手っ取り早く、当の本人に訊いてみると、返ってきた言葉は「え、欲しいもの? 別にないよ」だった。よく考えなくても、欲しいものを素直に答える人間の方が少ないだろう。……いや、いるな。バスケ部のレギュラー陣の大半(青峰とか黄瀬とか紫原とか)は、己の欲望に忠実に答えてきそうだ。

 とにもかくも、当人から答えを引き出せなかった以上、他に探りを入れるしかない。赤司は自分ともとも近しい人間、つまるところバスケ部の面々に訊いてまわることにした。





「青峰」
「あ? 赤司。んだよ」

 昼休み。手始めに部室に向かっているであろう青峰を捕まえた。

「もうすぐの誕生日なんだ。何か贈ろうと思っているんだが、彼女の欲しそうなものがわからない。心当たりはないか?」

 遠回しに訊くのは時間がもったいない。単刀直入に切り出すと、青峰はげんなりした表情で小指を耳に突っ込み、盛大なため息を吐いた。

「知んねーよ。オレに訊くな。本人に訊けばいいじゃねーか」
「もう訊いたさ。別にないと言われた」
「はぁ? だったらなおさら知んねーよ」

 フッ、と小指の先に息を吹きかけ、よけいなことにオレを巻き込むなと言わんばかりに青峰は背を向ける。元より青峰から何かを聞き出せたのなら大きなめっけもんだ、くらいにしか思っていなかったので、特別に肩を落とすことはなかった。昼休みの時間はまだ十分ある。他に探りを入れるため、赤司は青峰と反対方向、つまり教室が並ぶ方へ踵を返した。次なるターゲットは……、


「緑間」
「ん? 赤司か。何の用だ?」

 緑間の教室に入ると、緑間は自席で文庫本を開いていた。赤司の姿を認めるなり、本を閉じ、机から部活用のノートを取り出した。

「そのノートは仕舞っていい。訊きたいのはのことだ」
「は? ?」

 赤司がこうして緑間を尋ねることは珍しくなく、その大概は練習メニューについての話だった。今回もそう思ったのだろう。

「もうすぐの誕生日だろう? 何か贈りたいんだが、なかなか良い案が浮かばなくてね。意見を聞かせて欲しいんだ」
「そういうことか」

 すると緑間は鞄の中から違うノートを取り出した。

「ちょっと待ってくれ。今、調べる」

 そのノートには雑誌の切り抜きやら緑間の走り書きのようなメモやらが貼り付けられており、おは朝占いという文字もそこかしこに垣間見えた。

「ええと、の誕生日は……」
「いや、いい。相談する相手を間違えた」

 すっかり忘れていた。緑間は頭の回転は速いが、ネジが多すぎて規格外だということを。

「いいのか? 当日のお前の運勢も」
「いい。そのノートも仕舞ってくれ」

 赤司は腕組をしながら廊下に出た。一番頼りにしたい連中が一番頼りにならない。己から吐き出された盛大なため息に、知らぬ間に彼らに期待を寄せてしまっていたことに気がついた。
 
「あ、赤ちんだ~」

 昼休みは残りわずかになってきている。改めて期待しすぎるのは禁物だと肝に銘じ、他の聞き取りは放課後にしよう。そう思って自分の教室に戻ろうとした時、紫原が腕にお菓子を抱え、こちらに向かって歩いていた。大方、購買でお菓子を買い込んで今戻ってきたというところだろう。ちょうどいい。このまま訊いてしまおう。

「紫原。訊きたいことがあるんだが」
「え、なになに~? 赤ちんがオレに質問なんて珍し~」
が欲しそうなものを探しているんだ。心当たりはないかい?」
ちんの? ああ、そうか。もうすぐちん、誕生日だもんね」

 意外なことに、紫原はの誕生日を把握していた。

「そうだな~。まいう棒全種類とか? ポテチトップス全種でもいいかな~。あ、赤ちん知ってる? 最近、ポテチに新しい味が出たの」
「……紫原」
「ん? な~に?」
「それはお前の欲しいものだろう?」
「うん。一度でいいから、駄菓子屋さんで棚の端から端までぜ~んぶくださいってやつをやってみたいんだ~」

 うっとり幸せそうな紫原を見て、ある意味、期待通りだと思った。

「良い参考になったよ。ありがとう」
「どういたしまして~」

 赤司はひらりと手を振りながら、その場を離れた。もはや最初の質問など忘れてしまったであろう紫原は鼻歌を歌いながら、廊下の一番奥にある教室に入っていった。
 聞き取りを行いたい残りの面々を赤司は思い浮かべた。今し方の三人に比べれば、幾分か期待を持てるメンバーが残ったように思う。


 午後の授業を終え、掃除の時間。トイレの前を通ると、ゴム手袋をはめた黄瀬が出てきた。

「っと、赤司っち。あれ? 掃除は?」
「オレは今週は休みなんだ」

 帝光中では一週間ごとにローテーションで各掃除場所を回しており、一ヶ月に一度、掃除のない週があった。

「いいな~。オレは今週、トイレっスよ。早く来週にならないかな」
「ところで、黄瀬」

 黄瀬の嘆きをぶった切り、赤司はここぞとばかりに話題を変える。

のことなんだが」
「あっ! もしかして誕生日プレゼントのことっスか?」

 さすが黄瀬とでも言うべきか。話を切られたことなどさして気にする様子もなく、、と聞いて誕生日を推測するあたり、彼らしさが窺える。アンテナの張り方が他とは違うのだろう。

「そうだ。何か良い案はないかな?」
「そうっスねぇ。っちの欲しそうなもの……。女の子ならそろそろスキンケアアイテムとかに興味が出てくる頃じゃないっスかね。リップクリームとか。あ、ただのリップだと味気ないから、色つきリップとかの方が良いかも」

 やはり、黄瀬の着眼点は他と違うらしい。だが、

「それはお前が贈りたいものだろう? オレが贈ってもいいのか?」
「だ、だめっス!」

 まったくどいつもこいつも。そもそも自分で考えることを放棄している時点で文句は言えないのだが、それにしても使えないものばかりで頭を抱えたくなる。
 残るは黒子と桃井の二人。部活が始まる前にでも訊いてみようか。などと考えながら部室に向かっていると、ちょうどその二人が階段の踊り場でモップを持って話しているところに遭遇した。

「あ、赤司くんだ」
「今週は非番ですか?」
「ああ。先に部室に行っているよ。だがその前に。不躾で悪いんだが、皆にの欲しそうなものを訊いて回っているんだ。何か思い当たらないかい?」
ちゃんの欲しそうなもの? ……あ、誕生日プレゼントだね」

 ここもさすが桃井。多くを語らなくとも察しが良い。

さんの欲しそうなものですか」
「他は全滅でね。本人にも訊いてみたが、別にないと言われてしまったんだ」

 二人とも顎のあたりに手を当て、思案顔になる。この二人をもってしてもだめとなると、他の手を考えなければならない。半ば諦めモードに入っていると、黒子が「あっ」と声を上げた。

「思い出しました。そういえば先日、さんが、お掃除ロボットがあれば楽なのに、とぼやいているのを聞きました」
「あ、それ、私も聞いた!」
「それは本当か? 黒子、桃井」
「はい。間違いありません」
「たしかに聞いたわ」

 やはり頼りになるのはこの二人だった。お掃除ロボット。もはや答えが出たも同然だ。

「とても良い参考になったよ。ありがとう」

 邪魔して悪かったと二人に告げ、赤司は歩き出した。家に帰ったらさっそく取り寄せようではないか。お掃除ロボットを。





 今年のの誕生日は土曜日だった。赤司は大きな紙袋を下げて学校へ向かった。渡すのは練習が終わったあとの方が良いだろう。ものがものだけに、今渡したらら保管場所に困るのが目に見える。
 きっとは喜んでくれる。いったいその自信はどこからくるのかというくらい、赤司は自信に満ち溢れていた。
 そして来たる練習後。



 部室の奥で部誌を書いているに近づく。手にはもちろん大きな袋。

「赤司くん。お疲れさま」
「ああ。お疲れ。ところで。今日は君の誕生日だよね?」
「え? うん。そうだけど」
「おめでとう」
「あ、ありがとう」

 驚いていた表情を見せるは、もしかしたら赤司が自分の誕生日を知っていたことが意外だったのかもしれない。こちらからしてみれば、知らないわけないだろう、なのだが。

「それから、これ、プレゼントだよ」
「わ、ありがとう。……ずいぶん大きな袋だね」
「恥ずかしながら、皆に意見を募ってようやく見つけたんだ」
「そうなんだ。ありがとう。何だろ……」

 袋を受け取ったは中を覗き込み、そして固まった。

「赤司くん。これ、何?」
「見てわからないかい? お掃除ロボットだよ」

 おかしい。の様子が予想と全然違う。赤司の中では満面の笑みを浮かべ、「すごい! これ欲しかったやつなんだ。よくわかったね。すごい!」と喜ぶ予定だったのだが、現実のは袋の中身を見つめたまま、ぎょっとしている。

「君がそれを欲しがっていると、黒子や桃井から聞いたんだが」
「え? そんなこと言ったっけ?」
「え?」

 おかしい。何がおかしいって、今この空気がおかしい。まさか黒子と桃井が嘘をついたとでもいうのだろうか。いや、まさか。あの二人に限ってそれはないだろう。それならば、この状況はいったい何なのだろうか。

「お掃除ロボットがあれば楽なのに、と話していたそうじゃないか」
「うそ……、あっ」

 もう少し具体的に二人から聞いた内容を伝えると、は思い出したかのように声をあげた。それはどちらかというと、思い出してすっきりしたというよりは、しまったとでも言いたげな顔だった。

「たしかに、そう言ったかも」
「やはり」
「でも、それは体育館の掃除のことだよ」
「は?」
「あの広々とした体育館をモップでちまちまと掃除するの大変だから、お掃除ロボットがあれば楽なのにねって」

 早とちりほど恥ずかしいものはないと、これほど強く思ったのは今日が初めてだった。がらがらと音を立てながら、自信という名のタワーが崩れていく。つまるところ、お掃除ロボットはが欲しいものではなかったのか。しかし、プレゼント用に購入してしまった以上、あとには引けない。

「そう、だったのか。勘違いして悪かった。だが、せっかくだから、それは受け取ってもらえないか?」
「えっ、いや、でも、こんな高級なもの、受け取れないよ」
「大したものではないよ」
「いや、大したものだよ」

 は紙袋を机の上に置き、スッと赤司の方へ押し戻した。それをすかさずの方へ押し戻した。

「とにかく受け取って欲しい」
「困るよ」
「なぜだ?」
「なぜって、これ、中学生が受け取るものじゃないよ」

 何度か押し問答を繰り返す。

「それにうち、お掃除ロボットを使うほど広くないもの。もらっても使い道なくて困るよ」

 それは一理ある、と思い、赤司はそこで押し付けるのをやめた。「それなら仕方ないか」と引けば、はあからさまにホッと胸をなで下ろした。

「交換条件だ」
「交換条件?」
「これを贈るのは諦めるよ。だが、オレはに何か贈りたい。だから代わりに欲しいものを言ってくれ」
「そんな、急に言われても」

 困らせたいわけではないのに困っているを見ていると、少しばかり心が苦しくなる。だが、ここは引くわけにはいかない。
 はあたりをきょろきょろと見渡し、ある一点で視線を止めた。ベンチに置かれている赤司のペンケースだ。

「赤司くんが普段使っているものがいいなぁ。あの定規とか」

 チャックの開いているペンケースからは定規がはみ出していた。

「あんなものでいいのか?」
「うん。赤司くんを感じられるものなら何でも」

 今、とんでもないことを言われたような気がしたが、当のはまったくそのことに気づいていないらしく、にこにこしている。赤司はペンケースを取りに行き、定規を抜き出してに渡した。こんなどこにでも売っているもので本当に良いのかと疑問に思うが、手渡されたはとても嬉しそうだった。

「ありがとう。あ、でも、定規がなくなって赤司くん困らない?」
「大丈夫さ。替えは家にいくらでもある」
「そっか。じゃあ遠慮なくこれは頂くね」

 何かと腑に落ちないのだが、ここまで喜ばれてしまっては、やっぱり他のものをとは切り出せない。予想外中の予想外だったが、これほどの笑顔を引き出せたのだから、結果オーライと捉えないとバチが当たってしまいそうだ。は大切そうに自分のペンケースに仕舞い、微笑んだ。誰に向けるわけでもないその笑顔が妙にきれいで優しくて、無意識のうちに零れる笑顔ほど、その人の魅力を引き出すものはないだろうと感じた。

、改めて、誕生日おめでとう」
「うん。ありがとう」


 その日の夜。宿題を終えてペンケースを鞄に仕舞おうとしたところで、定規をに渡したことを思い出した。引き出しから替えの定規を取り出し、それをペンケースに収める。
 果たして本当にあんなもので良かったのだろうか、という疑念はいつまでも消えないが、「ありがとう」と言った時のの笑顔は脳裏にしっかりと焼きついている。
 次にプレゼントを贈るタイミングがあるとしたら、クリスマスだろうか。今度は誰の手も借りることなく、に何か贈ろう。そう決意した赤司の足元には、お掃除ロボットが浮遊していた。