04:挫けたら終わりだなんて嘘だよ
春一番が吹き、あたたかい陽気の日が増えてきたとある休日。
次のデートは一日私につき合って! と言うの要望に応えるため、赤司は朝の9時半という、遠出するわけではないデートにしては早い時間に、待ち合わせの表参道へ向かった。
特に細かく落ち合う場所は決めておらず、とりあえずが乗ってくるであろう地下鉄の改札へ向かう。そこで目に飛び込んできたのは、『車両故障のため、運転見合わせ』という、いや~なかんじのする電光掲示板の文字だった。
これだとはしばらく来れないだろう。そう思った時に携帯が震え、から着くのが遅くなるという連絡が入った。「仕方ないね。駅前のカフェで待ってるから、慌てずにおいで」とメッセージを打ち、赤司は場所を移した。
それから一時間ほど。息を切らせたがカフェに飛び込んできた。ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返すを周囲の客はみんな見たが、当人は気にしていないらしく、まっすぐ赤司のところへ向かう。
「どうしたんだい? そんなに乱れて。慌てないでって言ったのに」
「私のことはどうでもいいの。お願い、赤司くん、急いで!」
しっかりセットしたであろう髪は風になびいて乱れ、額には汗もうっすらと滲んでいる。少し落ち着いたらどうかと口を開こうとしたが、それよりも先には赤司の腕を引き、外へ出るようにと促した。そして赤司の腕を引いたまま小走りを始める。
「そんなに慌ててどこへ」
「チョコレート!」
「チョコレート?」
「京都の宇治抹茶のお店とコラボしたチョコレートが昨日から限定で出てるの! それが欲しいの!」
バレンタインでもホワイトデーでもないこの時期にチョコレート? と思ったが、是か非でもこれが欲しいと目を光らせる女性の本気は恐ろしい。
休日の青山通りをひたすら走る男女、しかも女の方が男を引っ張っているという構図は、きっと変に目立っていただろう。
しかし、は意に介した様子を見せず、うっかりしていたら見落としてしまいそうな路地に入り込み、通りから一本外れた小道をさらに走った。
そして見えてきたお店は全国に何店舗か持つ日本のチョコレート専門店。限定の品が出るのなら、それなりに賑わっているのだろうと思っていたが、予想に反してお店の前には誰一人としていなかった。
「何か、嫌な予感がする」
徐々に減速し、息絶え絶えにお店の前で立ち止まる。
「とりあえず、入ってみようか」
「うん」
自動ドアを抜けてショーケースを覗き込んでみると、そこにははっきりと『完売』の二文字が掲げられていた。
「あああああっ、やっぱり……」
我を忘れて頭を抱えるに、お店の人は「開店とほぼ同時に売り切れてしまいまして」と申し訳なさそうに教えてくれた。
「だから開店前から並ぶつもりだったのに……」
それで妙な時間に待ち合わせだったのかと赤司は一人納得する。それなのに、車両故障などという復旧の目途がつきにくい理由で電車が止まってしまうのだから、気の毒としか言いようがない。
みっともなくショーケースに貼りつきそうなを押さえながら、赤司は店員に尋ねた。
「他店舗での販売は?」
「都内では当店だけですね。他の近場となりますと、横浜の元町か熊谷になります」
熊谷? 青山や元町と比べると随分まちの雰囲気が変わるような……と思ったが、あえてそれは口に出さず、「ここからなら横浜が無難だね」と言うと、は驚いた顔をぱっと上げた。
「いいの? 行っても?」
「まだ時間はあるからね」
電車に阻まれたとはいえ、もともと早い時間に設定していたため、時間はまだ正午前。ここから横浜へは一時間もあれば移動できるのだから、試す価値はあるだろう。
渋谷駅まで歩き、二人は元町・中華街行の電車に乗り込んだ。40分ほど揺られ、目的地に着く。
元町は、青山とはまた違う洗練された雰囲気が漂っていた。色に例えるなら、青山は白にうっすらと黄色を落としたような、いわばクリーム色のような色で、元町は純白といったところだろうか。浜っ子のお嬢様気質な女性が多い。
何だかんだで最初からリサーチ済みだったらしく、の足は迷わず例のお店へ向かって進んでいく。「あるといいね」「うん」なんて会話をしながら店内に入り、ショーケースを覗きにいくと、そこで出迎えてくれたのはまたしても『完売』の二文字だった。
「ここも売り切れのようだね」
「嘘でしょ……」
そうしていれば『完売』の文字が『販売中』に見えてくるとでも思っているのか、はじっとショーケースの中を見つめ続けている。見えているものですら信じないとでも言いたげなほど強烈な視線だ。赤司はだんだんおもしろくなってきた。
「仕方ないね」
「……」
「行ってみようか。熊谷」
「……え?」
仕方ない、の意味合いは諦めよう、ではなく、三度目の正直を試してみよう、だ。驚いたはワンテンポ遅れて奇妙な声を上げた。
「いいの? 行っても?」
「ああ。ただし、お昼を先に取ってからね」
腕時計を指で示しながらそう言うと、も自分の時計に視線を落とした。
「そうだね」
さすがにお昼のちょうどいい時間はまわっている。ここから熊谷へ向かうとなるとちょっとした長旅だ。できることなら腹ごしらえをしてから向かいたい。
テラス席もある開放的なイタリアンレストランに入り、通りがよく見えるテーブル席に着いた。外で食べるにはまだ肌寒い季節だったのが残念だ。もう少し暖かくなったら、ゆっくりとまた来てみるのも良いかもしれない、と思えるくらいには、提供されたパスタは申し分ないおいしさだった。
そして、近いようでなかなか足をのばすことのない横浜での食事を堪能した二人は、再び駅へ向かった。
「次こそあるといいね」
「うん」
「ところで、思ったんだが、お店に行く前に電話で問い合わせてみたら良いんじゃないかな?」
「あっ」
すっかり失念していたらしいは、その場で立ち止まった。
「それもそうだね。ちょっと電話してくる」
そして建物の影に移動し、携帯を取り出して電話を始めた。
電話を終えて戻ってきたは、嬉しそうであるような、それでいて焦っているような、微妙な面持ちをしていた。
「熊谷はまだけっこう残っているって。でも取り置きはできないらしいから、急ごう」
いつもなら自分から手を繋ぐことがないなのに、今日はどこかおかしくなっているのか、自ら赤司の手を取って先導することが多い。
電車に乗り込み、かなり長いこと揺られて熊谷へ向かう。時刻は夕方にだいぶ近くなっていた。
やはり事前にリサーチ済みなのか、は足早に迷うことなくお店へと向かっていく。店内に足を踏み入れ、今度こそ! と期待を胸にショーケースを覗き込む。
「……あれ?」
が、しかし、限定チョコレートと札が出ているあたりにはそれらしき商品が一つも置かれていなかった。
「申し訳ございません。つい先ほど、売り切れてしまいまして」
「エエエエエッ、嘘でしょーーーーッ」
赤司は今にも倒れそうなの肩を支えた。そして代わりに店員に質問をする。
「再販の予定は?」
「今のところは……」
あまりのショックに、せっかく遠路はるばるここまで来たというのに、何もせずに熊谷を後にすることになった。おそらく滞在時間は二十分もなかっただろう。
電車に乗り込んでも、完全に魂が抜けたはしばらく一言も声を発しなかった。
「今日はうちに寄っていってくれるよね?」
「今日? 別にいいけど」
ひたすら電車に揺られ、ようやく都内に突入したところで赤司は口を開いた。はまだ半分放心した状態でどうでもよさそうに返事をした。
今日一日何をしていたかと振り返ると、ただひたすら電車に乗っていたに尽きる。せっかくの休日なのに、このまま何もせずにと別れてしまうのは、赤司としては不服だった。今のの様子だと、この後、元気を取り戻す可能性は極めて低かったが、赤司には秘策があった。そしてその秘策を実行するためには、どうしてもを自宅へ引き込む必要があった。
赤司のマンションにたどり着くころには、すっかり陽が傾いていた。
部屋に入るなり、ソファで項垂れているの元へコーヒーを運ぶ。一応、「ありがとう」とお礼を言ってはくれたが、その声にはまるで覇気がなかった。思わず、クスッと笑みを零した赤司は、例のブツもの前に差し出した。
「ほら、これで元気を出して」
「無理。大体、ネット通販もなしで金曜日から売り出すってのがおかしいのよ! 全然フェアじゃな……えっ?」
赤司から手渡されたものを見て、憤慨しかけたはピタリと動きを止めた。
「え? え? あれ? え? 何で?」
まるで意味をなさない細切れの声を出しながら、裏から表から横からパッケージを眺める。
「欲しかったのは、それだろう?」
「そうだけど、何でここにあるの?」
それはまさしく今日一日、が探し求めていたものだった。
「ここのところ最近、ずっとホームページでそのチョコレートを眺めていただろう? だから欲しいのだろうと思って、」
「いや、そうじゃなくて!」
「いらないのかい?」
「いる! いるけど、何で赤司くんがこれを持ってるの? いつ買ったの? だってこれ、ずっと冷蔵庫の中に保管されていたかんじがするよ」
「それは企業秘密だよ」
そう。赤司はが欲しかったものを最初から知っていたのだ。それをあえて知らないふりをして一日過ごしてきた。そもそも知らないという方が不思議なくらいなのだ。二人で過ごすたび、は赤司に寄りかかりながら、何度もスマホでそのチョコレートを検索して眺めていたのだから。それこそ、気づいて欲しくてそうしていたとばかり思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「意味わかんない! っていうか赤司くん、今日一日、私の様子見て遊んでいたでしょ!?」
「おや、ばれてしまったね」
「信じられない!」
は完全にそっぽを向いてしまった。こうなってしまったら、しばらくはこちらを向いてくれないだろう。の言う通り、確かに今日一日を見て遊んでいた。だが、本当は少し違う。現在進行形で遊んでいる、が正しい。
赤司は頬を膨らませたの隣に腰を下ろした。蚊の鳴くような小さな「ありがとう」という言葉を耳で捉えてから、コーヒーのカップを傾けた。