01:奇妙な第一印象
爽やかな秋晴れが広がる土曜日の午後、赤司は馴染みのブティックに足を運んでいた。しばらくスーツを新調していないことに先日気づき、夕方からの予定の前にあつらえることにしたのだ。とは言え、この日はデザイン選びと採寸のみ。数日後、仕上がってから試着し、微調整をしてから受け取りとなる。
作業はさくさく進み、夕方の約束の場所へはかなり余裕をもってたどり着くことができた。赤司は腕時計に視線を落とし、寸刻思案したのち、店の扉を開いた。予約の時間までまだ十分ほどあったが、席までは通してもらえるだろう。そこで皆の到着を待てばいい。
「あ、赤司っち」
「赤司くん、お久しぶりです」
しかし、意外にも先客が二人もいた。
「黄瀬に黒子。二人とも早いな。俺が一番乗りだと思ったんだが」
「一番は黒子っちっスよ。俺も一番だと思って来てみたら、店の前にすでに黒子っちがいたんスよ」
今日は中学生の時の仲間で集まる約束になっていた。時折、青峰の幼なじみ兼マネージャーの桃井が加わることもあるが、基本はキセキの世代と呼ばれる五人と黒子を合わせた六人で集まることが多い。皆が皆、社会人となった今は一人も欠けずに集まるのが難しいが、今日は珍しくフルメンバーが顔を連ねる予定だ。
それからほどなくして全員が集まり、ワイワイやり、きっちり二時間で追い出された。二次会をしようという話も上がらず、ぞろぞろと駅へ向かって歩いていると、ゲームセンターの前に出た。ちょうど自動ドアが開き、店内の騒音が一気に外へ流れてくる。
「寄っていかないっスか?」
「いーなー」
眩しい光を見て目を輝かせたのは黄瀬と青峰。緑間は眉間にしわを寄せている。
「こんな騒がしいところに好んで入る奴の気がしれないのだよ」
紫原や黒子はどちらでも構わないといった表情だ。
「たまには良いんじゃないかな」
そう口にすると、全員の顔が一斉に赤司に向いた。そう驚くことだろうか。たしかに一人なら間違っても入ることはないが、今はそういう状況ではない。
「今日はもう飲み直すつもりはないのだろう? まだ電車は動いているし、少しくらいなら良いだろう」
「しゃっ。さっすが赤司。よくわかってんじゃん」
「赤司っち、ナイスっス」
そして一向は光の中へと吸い込まれていった。
「青峰っち、アレで勝負しないっスか?」
中に入るなり、黄瀬が指を差したのは、ボクシングのグローブのようなものをつけてパンチし、その威力を測るゲーム。一人でもできるが、二人いれば対戦もできる代物だ。
「おう、いいぜ。負けた方は缶ビール一本奢りな」
「オーケー。臨むところっス」
肩に手を置き、腕をぐるぐる回しながらマシンに向かっていく二人。その背中を見送りながら、黒子は「僕、向こうのクレーンゲームで遊んできますね」と身体を反転させてしまった。そしてそれに続く紫原。
「それなら黒ちん、お菓子取ってよー」
「いいですけど、取れたらお金は回収しますよ」
「えー、ケチ」
どこまでも皆、自由だ。
「緑間はどうするんだ?」
「俺は隣の本屋にいるのだよ。終わったら声かけてくれ」
もはやここにはいたくないと言わんばかりに、緑間は店から出ていってしまった。
赤司はしばらく黄瀬と青峰の勝負の行方を見守っていたが、どうにも不毛な時間のように思え、とりあえず店内を一周してみることにした。
それにしても、とにかく騒がしい。マシンの一つ一つが自己主張するかのように軽快な音を放ち、メダルのじゃらじゃらという音がひどく耳に障る。緑間の言う通り、たしかにこんな場所へ好んで入る奴の気がしれないと思った。
出入口付近まで戻ってくると、そこには子どもでも遊べそうなマシンが多く並んでいた。時間が時間なだけに子どもの姿はないが、女性の姿はあった。
バチを両手に持ち、太鼓のように叩いて遊ぶゲームのようだ。赤司はふと立ち止まり、柱にもたれながらその様子を見ていた。
詳細はわからないが、どんなゲームなのかは見ていればだいたいわかる。そしてやったことがない人間でもすぐにわかる。彼女はこのゲームを相当やり込んでいる、と。ぎこちなさはまるでなく、滑るように叩いてコンボ数を増やしていく。画面には鬼モードと記されていた。
何曲かやると、終了のような画面に変わった。彼女は後ろをちらっと見て待っている人がいないのを確認すると、バッグから財布を取り出し、新たなコインを投入した。
そんなに筋力がある体型には見えないが、あんなに激しく叩いても疲れないのだろうか。もしかしたら疲れないコツがあるのかもしれない。そんな風に考察しながら彼女のバッグに視線を移すと、小物入れのようなものがはみ出していた。そしてそのファスナーには、妙にリアリティのあるマグロのストラップがぶら下がっていた。
それからほどなくして肩を落とした黄瀬と満足そうな青峰、お菓子を大量に抱えた紫原と無表情の黒子がやってきた。
「あれ? 緑間っちは?」
「緑間は隣の本屋にいる。皆、用は済んだみたいだね。行こうか」
※
約二週間後。予定通りスーツが仕上がったという連絡が来たため、赤司はまたブティックに来ていた。
「お待ちしておりました、赤司様。どうぞこちらへ」
出来立てほやほやのスーツを手に対応してくれたのは、前回の時とは違う女性だった。馴染みのあるブティックで何度も訪れているのだが、初めて見る顔だ。
「ご試着が済みましたら、お声かけください」
「ありがとう」
案内されたフィッテイングルームに入り、さっそく新しいスーツに袖を通す。やはりここのお店は採寸の狂いがほとんどない。手早く試着を済ませ、外で待機している女性に声をかけると、「失礼します」とフィッティングルームに入ってきた。
「申し遅れましたが、本日、担当させて頂きますと申します。本日はご来店、誠にありがとうございます」
。やはり知らない名だ。
「失礼だが、初めて見る顔だね。異動?」
見たところ、新人には見えないし、対応も不慣れな印象を受けないところから転職者でもなさそうだ。残るのは他店舗からの異動くらいだろう。
「はい。以前は埼玉県内の店舗におりましたが、先週からこちらに移って参りました」
裾や袖の長さを確認しながら答える彼女の声音には、どこか憂いを帯びているような気がした。
「見たところ、改めて手直しが必要そうな箇所は見当たらないのですが、どこか気になる点はございますか?」
「いいや。とても着心地がいいよ」
「ありがとうございます。そうしましたら本日このままお持ち帰りいただけますが、いかがいたしましょう?」
「そうだね。それなら今日、いただいていこうかな」
「かしこまりました」
彼女が出て行ったあと、シャッ、とカーテンを閉め、元着ていた服に着替える。外では彼女が手際よく動き回っている音が聞こえてきた。とても感じの良い店員だ。年が近そうなのも親近感の湧く一つの要因なのかもしれない。
「こちらにお引き取りのサインをお願いします」
身支度を整えて外へ出ると、サインを求められた。ボードを受け取り、ペンも受け取ろうとしたのだが、
「あ、あれ?」
いつも胸ポケットに入れているらしいペンが見当たらないようだ。焦り出した彼女は自分の身体のいたるところをパンパンと叩き始める。
「申し訳ございません。少々お待ちくださいね」
断りを入れた彼女は会計カウンターの裏に回り、ペンケースを取り出した。私物のようで、その中からペンを出し、戻ってきたのだが、赤司はペンよりもペンケースの方に釘付けになった。
―― あれは……。
こちらをお使いください、と渡されたペンに手を伸ばしながら、ペンケースから視線を移し、彼女の顔を凝視した。
「もしや、先日、ゲームセンターにいなかったかい?」
そう言った瞬間、彼女の顔が引きつったまま固まった。
先日、旧友と行ったゲームセンター。あの時に見かけたやたらリアルなマグロのストラップが彼女のペンケースに付いていた。そして太鼓のゲームに没頭する女性と先ほどの彼女の後ろ姿が重なる。雰囲気はまるで違うが、たしかに同じだ。
「い、いつのことでしょう?」
「二週間ほど前かな。××駅前のゲームセンターで太鼓のゲームを……」
「み、見られてた……」
最後まで言い切る前に彼女の悲痛な小声に遮られてしまった。顔を青くして慌てふためく彼女が何とも可愛らしい。
「あの時とはずいぶん雰囲気が違うね」
「あ、あれは、急な異動に頭来て、その腹いせに……あ、いえ、そうではなくて」
先ほどまでの凛とした態度はどこかへお出かけしてしまったようだ。このギャップを目の当たりにした瞬間、急に彼女ともっと話してみたいという衝動が沸き起こってきた。気づけば、まったく予定のなかったことを口にしていた。
「実はもう一着スーツをあつらえようと思っているんだが、できればあなたに担当してもらいたい。いつ来れば君に会えるかな?」