誕生日はどうしたい?
赤司くんからそう訊かれたのが一ヶ月前。いつだって私のことを一番に考えてくれる彼だから、私が望みを言えばきっとその通りに叶えてしまうのだろう。でも、だからこそ、誕生日くらいは何もせずにのんびりしたくて、私の出した答えは「家でゆっくり過ごしたい」だった。
夜景がきれいなお店でディナー……というのも悪くないのかもしれない。だけど、そんな特別なことをしなくたって、赤司くんが私の誕生日に何かしようと考えてくれただけで充分だった。いつも通りに過ごして「おめでとう」って一言もらえたのなら、それだけで最高の誕生日だ。
とは言え、結局はこれが私の望みになるわけだから、叶えてもらうことに変わりはないのだけど。
誕生日といえど、世の中からしてみれぱただの平日。今年は火曜日だった。
いつも通り朝起きて家を出て出勤。会社ではそれなりに仲がよく、誕生日を教えている同僚からは「おめでとう」という言葉をもらったけど、それ以外はびっくりするくらい普通だった。電話を取ってみたら、取引先からの苦情だったり、つまらないミスをして上司に注意されてみたり。今日って何の日だっけ? そうだ。私の誕生日だ。午後の始業時間にふとそんなことを思ってみたり。そんなありふれた日常を過ごして帰路につく。ただ、今日の帰る先は私の自宅ではなく、赤司くんの家であるということだけが唯一、いつもの日常から逸脱したものだった。
日夜忙しく走り回っている赤司くん。今日はいつもより早めに帰るとは言っていたけれど、赤司くんの早いは一般的な早いよりも遅いということは、これまでのつき合いの中でよくわかっている。だから今日も、赤司くんの家に行っても灯りはついていなくて、私は預かっている鍵で上がって赤司くんの帰りを待つものだとばかり思っていた。
そう、思っていたんだ。
ところが、赤司くんの暮らすマンションに行って、どうせ何の反応もないだろうけど一応鳴らすか。くらいの気持ちでインターホンを押すと、赤司くんの「はい」という声が聞こえてくるものだから、私はマンションのエントランスで明らかに不審者だろうというくらい挙動不審な行動をとる羽目になってしまった。
「何でいるの?」
「ここは俺の家だよ。いるのは当たり前だろう」
「いや、そうじゃなくて。仕事は?」
「あぁ、そっちか。今日は休みだ」
「休み!?」
天下の赤司くんがお休み……? ただの平日に赤司くんが休むなんてちょっとどころじゃないくらい考えられないし、今日が創立記念日とかで休みだなんて話も聞いていない。
「うちの会社にはアニバーサリー休暇というものがあってね。それを使ったんだ。恋人の誕生日にも使っていいらしい」
「え、使っちゃったの? それって年に一回しか使えないやつなんじゃないの? 赤司くん、自分の誕生日で使えないじゃん!!」
「俺の誕生日なんてどうでもいい。ただの平日だろう」
「今日だってただの平日だよっ!」
騙された感が満載でどっと疲れが押し寄せてきた。楽しそうにキッチンとダイニングテーブルを行き来する赤司くんは、どこからどう見ても確信犯である。
「さすがに全部つくれるほど俺に料理の腕はないが、このスープだけは俺がつくったんだ」
どうやら全部並べ終えたらしい。このタイミングで準備を整えるということは、私が帰ってくるタイミングまで計算していたということなのだろう。私は赤司くんほど先手を打つのがうまい人を未だかつて見たことがない。
テーブルの上には私の好きなものばかりが並んでいた。どこかの料理屋で調達したのか、赤司邸のシェフがつくったものを運んでもらったのか、そこのところはよくわからないけど、確実に言えることは、どれもこれも一級品だということだ。たしかに赤司くんがつくったというスープだけは、この料理の中では見劣りしてしまう。でも、赤司くんが私のことを想って手を動かしてくれたという事実が、このスープをどんな料理よりも私を喜ばせる一級品にしてくれる。
「さぁ、冷める前に早く食べてしまおう。は手を洗っておいで」
「……うん」
モヤッと感は払拭できてないけれど、これ以上たてつく理由も見つからず、私はおとなしく洗面所へ向かった。
「いただきます」
それからすぐに席に着き、二人で手を合わせた。
こんな時間に赤司くんと顔を合わせて食事するのはいつぶりだろう。仮に今日が本当に何もない平日だったとしても、赤司くんと向かい合えるだけで特別になるというのに、まさか自分の誕生日に特別を迎えられるだなんて。特別の上にさらに特別が上乗せされて、さっきまでのモヤッと感がまるで嘘のように私の顔は綻び始める。
「嬉しそうだね」
「そりゃあ嬉しくないわけないよ。嬉しいと思えないなら、私、赤司くととつき合ってないよ」
「なかなか怖いこと言うね。まぁ、その様子から今のところそんな心配はなさそうだけど」
これだけの手間をかけてくれたということは、それだけ私のことを考えてくれていたということだ。嬉しくないわけがない。赤司くんの気持ちの全てを見ることはできないけど、私が赤司くんの誕生日をお祝いするなら、ひたすら赤司くんが喜んでくれそうなことを考えたり、実際に赤司くんが喜んでいる姿を思い浮かべたりしながら料理をつくるのだろう。それを逆に当てはめてみたら、嬉しくて嬉しくて、ふわふわと身体が浮いてしまいそうになる。
「早く赤司くんの誕生日がこないかな」
「俺の誕生日? どうして?」
「早く赤司くんのお祝いをしたいから」
この嬉しかった気持ちを何倍にもして返したい。今なら赤司くんが自分の誕生日なんてどうでもいいと言った理由がわかる気がした。
「不思議なことを言うね。だが、にそう言ってもらえるのは嬉しいよ」
「期待してて……って言えるほど立派なことはできないかもしれないけど、全力で接待はするから」
「あぁ。楽しみにしてる。自分の誕生日が楽しみになるだなんて初めてだ」
赤司くんの誕生日まではまだかなり日にちがある。でも悠長に構えてなんていられない。明日と言わず、今晩から考え始めてもいいくらいだ。
そして今日のサプライズはこれだけではなかった。よく考えてみれば、赤司くんがこれだけしか準備してないわけがない。
「。プレゼントだよ」
なんて、可愛くラッピングされた包みをさっと渡されたら、私の幸せゲージは限界値を超えていまいそうだ。
「いいの? もらって……?」
「当たり前だろう。他に誰に渡せばいいんだい?」
「あ、ありがとう。開けていい?」
「もちろん」
中身は腕時計だった。
「きれい……」
「普段つけているものを大事そうにしていたから、どうかなとは思っていたんだが」
「あぁ、これね。これは就職した時に両親がプレゼントしてくれたものなんだけど、でも嬉しいよ。どっちも大事に使う」
年を重ねていくたびに自分の年齢を数えるのが嫌になっていく。そう思ってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。でも年を重ねていくたびに大切なものも一つずつ増えていく。今、目の前にいる人も、この人から与えてもらえるものも、両親や友人から贈られたものも、ぜんぶ私にとっては大切なものだ。そんな風に思える今は、年を重ねるのも悪くないのかもしれないと思えた。
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