穏やかな眠りから目を覚ますと、コーヒーの香ばしい香りが鼻孔をくすぐった。ここは私の家。いつものベッドに寝ていて、今見えているのもいつもの天井。それなのにこの香りを嗅いだだけで、まるでここは私の家ではないような錯覚に囚われる。
一人ではない朝を迎えられる幸せを感じながら、私はゆっくりと身体を起こした。
「。目が覚めたかい?」
少し気怠さは残るけど、目覚めは決して悪くない。普段は低血圧で朝は最悪だというのに。
それはきっと、この人がそばにいてくれるからだ。
「おはよう。赤司くん」
「おはよう。ちょうど朝食の準備ができたところだよ。着替えて顔を洗っておいで」
私はベッドからするりと抜け出し、大きく伸びをした。それからクロゼットを開いて今日の服を選ぶ作業に入る。
赤司くんとつき合うようになってから、どんな服を着たら隣にいる赤司くんを引き立てることができるだろうと考えるようになった。それまでの私はシックなモノトーンばかりを好んでいたけれど、それでは落ち着いた華やかさを持つ赤司くんの隣には似合わない。
次第にクロゼットの手前には色味のある服が並ぶようになり、シックなモノトーンたちは奥へ追いやられ、行き場を失ってしまった。そろそろフリマや古着屋に出して、私なんかよりもずっと大事にしてくれそうな人のところへ行った方が、この服たちも幸せだろう。
事実、今日も私は手前から服を選んでしまうのだから。
洗面所で顔を洗い、軽く化粧っ気を持たせてダイニングへ向かうと、コーヒー以外にも朝の香りが漂っていることに気づいた。
テーブルの上には二人分の朝食。
「キッチンを勝手に使わせてもらったよ」
「それは構わないけど、赤司くんって料理もできたんだね」
「ほどではないけどね。誰かに頼らなくても良いくらいにはできるよ」
思わずそう口に出てしまったのは、普段は私がつくっているからだ。朝を一緒に迎える時は大抵、赤司くんの方が先に起きるのだが、だいたいいつも私が起きてくるまでコーヒーを飲みながら待っている。今日みたいに朝食を準備してるなんてことは今までなかったはずだ。
朝から珍しい光景が見れて、私の心は躍りはじめた。つき合いが長くなるにつれ、一緒に過ごす時間は確実に増えている。最近はちらほらと、将来を見据えるような気配を覗かせているのもあり、ついこんな朝を迎えることが当たり前になる日を夢見てしまう。
「もコーヒー飲むかい?」
「うん。頂く。ミルクも欲しいな」
今日の赤司くんは特別優しくて、ついつい甘えてしまう。それに赤司くんもどこか私が甘えることを楽しんでいるようにも思えた。
コーヒーメーカーに豆をセットした赤司くんは私の正面に座り、手を合わせて一緒に朝食を食べ始めた。食べ終わる頃にはおいしいコーヒーができ上がっているはずだ。赤司くんの淹れるコーヒーは私が淹れるのよりもずっとおいしい。同じ豆を使って同じように淹れているはずなのに不思議だ。赤司くんの手には魔法の粉でもついているんじゃないかと思う。何でもおいしくしてしまう魔法の粉。
朝食はベーコンエッグにトーストとありきたりなものだったけど、赤司くんがつくってくれたというだけで、私にとっては高級料理そのもの。ベーコンエッグの方はペッパーがほどよく効いていて本当においしい。赤司くん、実はどこかで料理習ったことあるんじゃないの? そんな疑問を浮かべていると、目覚めた時と同じように、コーヒーの香ばしい香りが漂ってきた。それを合図に赤司くんは立ち上がり、カップにコーヒーを注いでくれた。そんなところまでやってくれなくていいのに。そう思いながらも、私は「ありがとう」とカップに手を伸ばした。結局、最後まで甘えてしまうのだ。
「今日はどうしようか? も一日オフだろう?」
「うん。そうなんだけど、どうしよっか……」
このまま一日ダラダラ過ごすのもたまには悪くないとも思う。でもせっかく赤司くんと一緒にいるのに、そんな過ごし方はもったいない。とはいえ、特に欲しい物はないから買い物に行く必要もないし……。
「散歩とか?」
「近くにローズガーデンがあったね。そろそろ見頃のはずだから、行ってみようか?」
「そっかぁ。もうそんな時季かぁ。うん。行ってみよ!」
そんな他愛のない、休日の朝。
私は幸せだ。
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