あなたの学校の放課後の雰囲気はどんなかんじ? そう訊かれたら、私は「生徒たちの活気で溢れている」と答えるだろう。それだけ部活動が盛んな学校だ。ところが試験期間に入ると打って変わって校内は静まり返る。みんな来たる試験に向けて勉学に励むのだ。そこが文武両道と言われる所以なのかもしれない。

そして今はまさにその試験期間真っ只中である。私もみんなんと同じ波に乗って、放課後は下校時刻まで学校で勉強してから帰るという日々を送っていた。
勉強をする環境としては図書室がベストなのだが、この期間は少しでもホームルームが長引くとあっという間に席が埋まってしまう。普段はガラガラだというのに。こんな時ばかり使用するだなんて、みんな都合良すぎ。と普段から図書室愛用者の私は試験期間に入るたびに憤慨する。

今日の私のクラスはホームルームが10分も長引き、もはや図書室の座席確保は絶望的。私は潔く教室で教科書やノートを開いていた。紙面とにらめっこしながらシャーペンを走らせ、時折、消しゴムを滑らせて机を揺らす。1時間半くらいそうしていたところで息抜きをしたくなって、私は体育館へふらりとやってきていた。

ここは普段、バスケ部が使用している体育館だが、今日は人気がなくて静まり返っている。活気に溢れている時は隣にいる人の声ですら聞こえづらいというのに、がらんどうの体育館は届けようと思わなくても端から端まで声が届いてしまいそうだ。
私は隅に追いやられているバスケットボールの山から一つボールを手に取って突いてみた。
これはバスケ部が使用しているボールではない。体育の授業で使うボールだ。本来なら用具室に仕舞われているはずなのに、こんなところに置き去りにされてるだなんて。単に忘れられただけなのか、めんどくさくなってここに放置されてしまったのか。いずれにしてもかわいそうなボールだ。あとでちゃんと片づけてあげよう。そう思いながら、ボールをリングに向かって片手で放ってみた。決して狙いは悪くなかったと思う。けど、片手では腕力が足りなかったのか、リングに届く前にボールは落下してしまった。

ぼてっぼてっと、間抜けな音が体育館中に響き渡る。これでは試験明けに待っているクラス対抗球技大会では、みんなの足を引っ張ってしまいそうだ。何で私、バスケなんて選んでしまったんだろう。個人競技の卓球にしておけば良かったかな。個人競技でも総合点でトーナメントを進めていくから、どのみち足は引っ張ってしまうのだけど、団体競技と比べれば精神的にずっと楽だ。

―― 戻ろっかな。

息抜きで体育館に来たと言っても、一人では何もできない。虚しさが増長されるだけだ。そう思った時だっだ。

さんじゃないか」

誰もいないはずの体育館に新しいシルエットが増えたのは。それこそちょっとした音でも響き渡る体育館。遠慮なしに紡がれた私の名前は、残響とともに広がっていく。

「びっくりした。どうしたの? 赤司くん」
「体育館からボールの音が聞こえてきたから気になって来てみたんだ。鈍いドリブル音だったからバスケ部員でないことはわかっていたが、まさかさんだとは思わなかったよ」

ナチュラルに馬鹿にされたような気がしたけど、ここは気づかなかったことにしよう。そんなことよりも私が今、究極に緊張していることの方がはるかに問題だ。

「球技大会の練習も兼ねて、息抜きしに来てたの」
「あぁ。そういえばさんはバスケにエントリーしてたね」

赤司くんは床に転がるボールを拾い上げ、手の上でもてあそんだ。あまり良いボールではないな。そう言いながらも、先ほどの私と同じ態勢で赤司くんの手から放たれたボールは、きれいにリングの中を通っていく。確かにドリブルの音も、私なんかよりもずっと軽快だ。弘法は筆を選ばず。そんなことわざが頭をよぎる。隅に置き去りにされてかわいそうだったボールも、あるべき場所へ還った今はとても輝いて見える。

さん、ゴールにボール投げてみて」
「えっ」

ぼんやりと赤司くんを見つめていると、ふいに赤司くんは私に向かってボールを投げてきた。とっさに胸の前あたりで構えた両手の中には、すっぽりとボールがきれいに収まる。これが赤司くんのパス……。すごい。
私は赤司くんに言われた通り、ボールを放ってみた。でもやっぱりうまくいかなくて、ボールはリングに跳ね返されてしまった。

「そのフォームではボールは飛ばないよ。もう一回構えて」

何だろうこれ。いつの間にかバスケのレッスンが始まっている。

さんはもっとゴールに近づいて投げた方がいい。腕力が足りなくてその距離ではゴールに届かないよ。球技大会では3秒ルール、8秒ルールは適用されないから遠慮せず前に出ていい。それから、ボールを投げる時は手首のスナップを利かせて反対の手は添えるだけ。膝と腰は軽く折って重心は低く保つように」
「う、うん?」

赤司くんは無遠慮に私の身体に触れ、文字通り、手取り足取り教えてくれている。もちろん、これが赤司くん以外の男子や教師だった場合は容赦なくその手を叩きつけているところだ。
でも、赤司くん気づいてる? 私のバスケセンスがもともと底辺を走っているっていうのもあるけど、私が今、劇的にへたくそなのは、そばに赤司くんがいるからだってことに。

緊張してうまくいかなくて、恥ずかしくて消えてしまいたくなるのに、この時間がずっと続けばいいのにって思ってしまう。
赤司くんの思わせぶりな態度は今に始まったわけではない。いつ頃からか、赤司くんはさり気なく私に近づいてきて友達以上の接触をしていく。もしかしたら赤司くんも私のことを……。何度もそう思ったけど、赤司くんなら好きな人ができたらさっさと告白してあっさりとつき合いを始めるんじゃないかと考え直して、それから怖くなってしまった。へたに行動を起こして今を壊してしまうくらいなら、このままでいい。もし、告白するのなら、卒業する時にしよう。
でも、今、告白できないのなら、たぶんきっと、卒業する時もできない……。

「赤司くん、どうして私に優しいの? 優しすぎて嫌になるよ……」

結局、口から出るのはそんな言葉だけ。私のこと好き? だなんて訊けないし、あなたが好きと言うこともできない。本当に赤司くんが手の届かない場所へ行ってしまった時になって、初めて後悔を覚えるのだろう。あの時、ああしておけば良かったって、泣きわめくんだ。わかっていても動けない私は本当に臆病者だ。
ねぇ、赤司くんは本当のところ、私のことどう思っているの?
心の中でなら何度もそう訊けるのに。


さん、もしかして自分は勘違いをしていると思い込んでいないかい?」

自分から意識が離され、遠のいていく中、赤司くんの声がふと私を我に返す。

「えっ、何でわかるの?」
「やはりな。さん、オレは人づき合いにおいてはそんなに器用ではないんだ。それ故に君を傷つける行動をとってしまっていたかもしれないね」
「……ごめん。言ってる意味がよくわからない」
「だが、オレも今、確信を持てた。この件で君が傷つくことはもうないし、勘違いが勘違いでなくなる時がもうすぐ来るよ」

全然話がかみ合っていない。かみ合っていないけど、とんでもない爆弾を投下されてることだけは間違っていないようだ。
見たこともないほど優しく微笑んでいる赤司くんと、私の頬に伸ばされた手が、言外にそうだと告げている。
身体が震えて止まらない。今日はもう、私の投げるボールがリングを通ることはないだろう。

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言えない訊けない